宮沢賢治関連の文書には「高瀬露さんとの交流に関連しているとされているものの、色々とはっきりしない部分があるもの」がいくつかあります。
今回からはまず、「賢治が遺した宛先不明の手紙下書き・下書き断片」について思うことなどを述べていきたいと思います。
「賢治が遺した宛先不明の手紙下書き・下書き断片」とは、1929(昭和4)年に「賢治が露さんに宛てて書いたとされる手紙の下書き及び下書きの断片」を指しています。これらは「露さん宛てと判明していたが、露さんの存命中は彼女の私的事情を慮って公表を控え、1977(昭和52)年発行の校本宮澤賢治全集第14巻(筑摩書房)で初めて公表された」という経緯があるものです。
それからというもの、多くの人々は無条件にそれを信じることになりました。

実は私もあれを露さん宛てだと思ってたけど…「見えない「内容と目撃者」(2)」で「この下書きは根拠を示さずに「高瀬露宛て」としている」と管理人が言っていたから、改めて資料を見返してみたんだよね…。
私も情けないながら「当該文書を露さん宛てと思い込んでいたひとり」で、旧ブログで「「中傷行為」伝説について考える」記事を書いた際にこれらの下書きも露さん宛てとした前提で文章を連ね、記事をアップしていきました。
記事アップから数ヶ月後、読者の方から別の記事に「露さん宛てとされる手紙の下書きが、どうして露さん宛てと断定されるのか校本を何度見てもわからない」という旨のコメントを頂きました。コメントを下さった読者の方には本当に感謝しております。そして、自分の注意力不足を改めて恥じております。

…そうなんです。あの記述だけで「露さん宛て」と断定するには浅薄すぎたと私もようやく気づけました。本当に注意力が足りなかったと反省しています。
当該文書は引用すると長くなりますので別にページを設けて掲載いたしました。以下のリンクからご覧ください。

上掲ページに引用した賢治の手紙下書きの出典(筆者手持ちの資料)は「宮沢賢治全集9 ー書簡」(ちくま文庫)です。
それを見てみると他にも宛先不明の手紙下書きが数通あるのです。それらは備考で「(根拠を提示し)〇〇宛てと推測される・〇〇宛てと推測されるが未詳・必ずしも決定的でない」と記述していたり宛先に関する記述はせず不明のままにしています。
上掲ページに引用した下書きも宛先は全く判りません。女性に宛てて書いたと推測されるものもあれば男性宛てでも全く不自然じゃないものもあります。何の情報もなしに見ると何処の誰に当てて書かれたものか全く見当がつきません。それなのに全集の備考や解説には「この下書きを露さん宛てと断定した根拠はこれである」という記述が全くないのです。

「いちいち言わなくても見れば判るだろ」と言いたげな雰囲気なんだよね。私も管理人もこの雰囲気にまんまと押されちゃったね…。
ところで管理人、旧ブログでこの件を書いた時はまだ先入観が抜けきってなかったんだね。全ての下書きに対して「相手は女性であるらしいことは判る」なんて書いちゃってるもの。

