「元ネタ」を読み込んでいくと…

1935(昭和10)年頃に開催された座談会「先生を語る」を繰り返し読み込んでいくと、特に「高瀬露さんの頻繁な訪問と宮沢賢治の対応」に関することが色々と見えてくるように感じます。

まずは、以下に挙げる高橋慶吾の「証言」の数々です。

  • 先生が寝ておられるうちに女が来る。何でも借りた本を朝早く返しに来るんだ。先生はあの人を来ないやうにするために随分御苦労をされた。門口に不在と書いた札をたてたり、顔に灰を塗って出た事もある。そして御自分を癩病だと云つてゐた。然しあの女の人はどうしても先生と一緒になりたいと云つてゐた
  • 「(ライスカレー事件後)先生は、あの女を不純な人間だと云つてゐた
  • あの女は最初私のところに来て先生に紹介してくれといふので私が先生へ連れて行つたのだ

これらは全て「高橋のみが見聞きしたこと」で、賢治や露さんが本当にそういうことをやったのか・言ったのかということの証拠にはなりません。

知りたい人
知りたい人

高橋って、賢治の高弟を自称してたそうだよね。なんか「先生の高弟たる自分だけが知る事実だぞ」とばかりにドヤ顔で語る高橋と、その様子に困惑しているCさんMさんの姿がありありと浮かんでくるよ。

次にCさんは「賢治を訪ねた際そこにいた女性(露さん)に賢治の不在を告げられ帰ろうとしたら隠れていた賢治が飛び出してきた」話のみをしています。賢治が居留守を使っていたらしいのを見たのはこの時だけだった事も分かります。

知りたい人
知りたい人

Cさんの「女が来たのでかくれてゐたのだらう」という言葉は、先に高橋が述べた「賢治と露さんのゴタゴタ」を聞いて「そういうことだったのかも」と思って発しただけなのかもしれないね。露さんにとっては不幸な偶然だったね…。

また、

女は不興そうに「さあ、解りません——。」と、ぶっきら棒に答えた。

森荘已池「宮沢賢治と三人の女性」 1949(昭和24)年

「おりません」いつも愛想の良い彼女から、ブッキラボーな返事が反ねかえった。(中略)すこし間をおいて、「わかりません」と彼女はこたえたが、それが如何にも面倒くさそうで、「わかるわけなど、ないじゃありませんか」と、切り返すような語調だった。

儀府成一「宮沢賢治 ●その愛と性」>「やさしい悪魔」 1972(昭和47)年

というような「ぶっきらぼうな態度の露さん」はCさんの言葉からは見られません。Cさんの発言にあるのは「「先生は居られますか」と露さんに尋ねたら「居られないみたいですね」と答えてきた」という事実のみです。

知りたい人
知りたい人

もしかすると露さんは急な賢治の不在に戸惑って、その気持ちを多少は表情やCさんへの返答に出してしまったのかも知れない。…けど、急な不在に戸惑うのは当たり前のことだし、それを表に思わず出してしまうのも責められることじゃないよ。Cさんは高橋に話を合わせつつも、その場にいない人を悪く言うことにならないようにと一生懸命バランスを取っているように感じる。

Cさんが最低限の返答しかしていないところやMさんが全く露さん関連の話題に乗ってこないところを見ると、露さんは羅須地人協会員たちにそこまで「異常な存在」扱いはされていなかったのではないかと思えてきます。

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