謎の「手紙下書き」(3)

宮沢賢治が1929(昭和4)年に高瀬露さんに宛てて書いたとされる手紙下書きが「露さん宛てと断定できる根拠や理由」を色々考えてまいりました。

知りたい人
知りたい人

結論としては「少なくとも露さん宛てとは言えない・別の人物宛てという可能性が高い」でしたね。

「校本宮澤賢治全集」(筑摩書房)ではこの下書き群の解説に「相手の女性のイメージをも、これまでの風評伝説の類から救い出しているように思われる」と書かれています。

知りたい人
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えー…いや、それこそ何を根拠にそう言ってるんだろうね。少なくとも私の目にはイメージが救われるどころか、むしろ悪化を促しているようにしか見えないんだけど。

この下書き群の公表が1977(昭和52)年の「校本宮澤賢治全集」出版まで控えられていた(表向きの)理由は「露さんの私的事情を慮って」のことだったそうですが、「本当は露さんにあれこれ言わせないために彼女の帰天を待ってただけなんじゃないか」と邪推してしまいます。

知りたい人
知りたい人

管理人の言葉はちょっと強いけど…全集側もそう思われても仕方がないよね。身に覚えのない悪評にほとんど弁解をしなかったという露さんも、この下書き群の内容が身に覚えのないもので更にそれに自分の名前を付けられるとなればさすがに苦情を言ってくると思うもの。

本当のところ、全集側に「露さんの私的事情を慮る」気は全く無かったのではないでしょうか。本当に露さんの私的事情を慮る気があるのであれば、この下書き群を公表しないままにしておくはずです。この下書き群を「誰に宛てたのか根拠すら見当たらない書簡」として公表したとしても「既に露さんに対して先入観を抱いている」人々が色々と勘ぐったり、賢治研究と関した書籍に「勘ぐり」を断定調で書き立てたりすることは簡単に想定できますから。

旧ブログ記事「「手紙下書き」に対する疑問」では「この下書きを「高瀬露宛て」と断定したのは上記理由のみなのか、それとも他に「高瀬露宛て」とできる決め手となった理由があったのか、そういったことを今からでもきちんと公表して頂きたいと思います」と述べましたが、それから20年近く経過した現在、校本全集に関わった方々のうちご健在な方は何人いらっしゃるのか分かりません。

知りたい人
知りたい人

旧ブログにコメントを寄せてくださった方同様、管理人が旧ブログを立ち上げる以前にも「この手紙下書きを露さん宛てと断定したこと」に疑問を抱き質問を送った人もいたでしょうね。でもそれにも応えることはなかったってことか…。知らん顔をし続けるってことはそれだけ「アレ」なことなんだろうな…って、勘ぐられても仕方がないことだと思いますよ。

旧ブログで述べた望みはもう叶わないのかもしれませんが、それならばこの場を通じて「この下書き群が本当に露さん宛てと言えるのか? その根拠は?」という疑問を投げ続け、偶然目にしてくださった方々の心の隅に留まるようにしていきたいと思います。

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