「ライスカレー事件」に対して浮かぶ疑問のうち、当記事では以下の疑問に関して考えていきたいと思います。
「そもそも高瀬露さんは「この日集まりがある」という情報をどこで誰から得たのか?」
「露さんの悪評を信じ切っている人々」はこう考えるかも知れません。
「情報も何も、いつものように押しかけてきたら来客があることを知って、ここで『自分は宮沢賢治の妻的存在である』ことをアピールしてやろうと思い付き、ライスカレーを作ることにしたってだけなんじゃないのか」

「ライスカレー事件」が起こった時代とライスカレーを作る手順を考えてみてくださいね? 果たしてその時の思いつきでライスカレーを作れると思います?
来客にライスカレーを出すためには、
- 調理器具、人数分より少し余る程度の材料(お米・カレー粉・小麦粉・人参・じゃが芋・玉葱など)や食器の準備
- 調理(水くみ・火起こし・炊飯・野菜を洗って一口大に切る→鍋で野菜を炒める→鍋に水を入れて野菜を煮込む→小麦粉とカレー粉を炒めて野菜を煮込んでいる鍋に混ぜる)と盛り付けの時間
が必要となります。
加えて当時は1920年代、電気炊飯器はもちろんシステムキッチンやガスコンロなども普及していませんから、調理時間は現在カレーライスを作る平均時間(約40分〜60分)よりさらにかかることでしょう。

つまり、数日前から「この日にn人の来客があり、お昼過ぎまで滞在する」という情報が分かっていないと「ちょうどお昼時に人数分のライスカレーを出す」ことはできないってことだよね。
この頃(通説では)協会員にも賢治にも疎まれてきていたはずの露さんが、どうやってその情報を得たというのでしょうか。考えた結果、以下の4つの可能性が浮かびました。
①協会員の誰かが露さんに伝えた
②賢治を訪ねた農民の誰かが露さんに伝えた
③羅須地人協会内に掲げられていた「来客予定」を露さんが目にした
④賢治が露さんに「この日集まりがあるからn人分の昼食を作って欲しい」と伝えていた

①と②は可能性が低いと思うよ。賢治が露さんの来訪や好意の押し付けに困っているのを知っていているはずの協会員が、賢治に更なる精神的負担をかけるようなことはしないだろうし、賢治を訪ねてきた農民もライスカレーが運ばれてきた時の反応から露さんを知らない様子なのが分かるし。
③が最も可能性が高いです。ただ、それが原因で露さんが「勝手な行動」を起こしたとしても、責任は「差し出たことをしかねない人が出入りしている状態で知られたくない情報をオープンな場所に掲げる」という不用心な行動をした賢治にあるということになります。
④は通説から見ると意外性が高いですが、案外③より自然です。そしてこちらが真実だったのかも知れません。ライスカレーというメニューも賢治からの提案だったのではないでしょうか。
当時(1926年〜1927年)の花巻町や下根子桜でライスカレーがどれだけ普及していたのかは分かりませんが、当時なら昼食として出すならお握り・お漬物・お味噌汁が一般的だと思います。

④が真実だとしたら、賢治は「自分から頼んで手の込んだ食事を作らせておいて、いざ出来上がったら食べるのを拒んだ・露さんをただ振り回しただけ」ってことになる…。なんか賢治は露さんに甘えてる感じがするな。

