「知りたい人」と考える

「悪評系文献」関連を考える

森文献より「和服姿の女性」(6)

知りたい人…とここまで考えてきてふと気がついた。その「和服姿の女性」の話、高瀬露さんに関係あるのかな。「宮沢賢治と三人の女性」にも「高雅な和服姿の”愛人”」にもその女性が何者であるかなんて書いてないし。「高雅な和服姿の”愛人”」が収録されて...
「悪評系文献」関連を考える

森文献より「和服姿の女性」(5)

森荘已池の「高雅な和服姿の”愛人”」は締めに後日談的な一文を入れています。以下に引用します。この女の人が、ずっと後年結婚して、何人もの子持ちになってから会って、色々の話を聞き、本に書いた。この人の娘さんが、亡き母の知人に「古い日記に母が『宮...
「悪評系文献」関連を考える

森文献より「和服姿の女性」(4)

1926(大正15)年秋〜1928(昭和3)年夏にかけての森荘已池の「動向」が判明し、文献の記述が虚構である可能性が出てきました。ですがひとまずそれは脇に置いて、引き続き森の文献「宮沢賢治と三人の女性」「高雅な和服姿の”愛人”」より気になる...
「悪評系文献」関連を考える

森文献より「和服姿の女性」(3)

森荘已池が2つの文献で「下根子の別宅に住む賢治を訪ねる途上で和服姿の女性とすれ違った」と記した時期には3年もの違いが、そして片や「賢治は自宅で病気療養していた時期」、片や「羅須地人協会の活動など影も形もなかった時期」ということが分かりました...
「悪評系文献」関連を考える

森文献より「和服姿の女性」(2)

知りたい人「和服姿の女性」に関する記述でおかしいと感じたのは「森荘已池が賢治を訪ねた時期」。その部分を書き出しますね。●宮沢賢治と三人の女性「一九二八年の秋の日、私は下根子を訪ねたのであった」●高雅な和服姿の”愛人”「羅須地人協会が旧盆に開...
「悪評系文献」関連を考える

森文献より「和服姿の女性」(1)

知りたい人森荘已池文献の露さんに関した記述で必ず出てくるのが「独居自炊している賢治を訪ねる途中ですれ違った和服姿の女性」。これまでなんとなく読んできたけど、この機会に読み返してみたら…明らかにおかしいと感じる部分があるんだよ。このエピソード...
「悪評系文献」関連を考える

悪評系2大文献

当ブログで「悪評系」としている宮沢賢治の知己もしくは賢治研究家は以下の人々です(50音順・敬称略)小倉豊文・儀府成一・関徳弥・高橋慶吾・森荘已池知りたい人私は森荘已池文献だけ読んだことがあるよ。関徳弥もよく見るお名前だけど、文献は読んだこと...
「知りたい人」と考える

「キーワード」を比較してみる

手持ちの資料から、高瀬露さんの周囲の人々の証言は出揃いました。それらを更にまとめて、キーワードとして書き出してみます。●地味で控えめ●優しい●世話好きでよく気がつく●人ざわりが良く物腰が丁寧●他人の悪口や批判を言わない●人と意見が違っても逆...
「知りたい人」と考える

周囲の人々の証言(3)

知りたい人そういえば、上田哲さんも高瀬露さんに盛岡で2回会ったことがあるそうだね。1度目は1953(昭和28)年10月26日、2度目は月日不明ながら「それから間もなく」。このブログでは1度目から半年以内と仮定します。上田さんの露さん評を改め...
「知りたい人」と考える

周囲の人々の証言(2)

知りたい人「高瀬露さんの関係者が話す露さんの姿」をもっと見てみたいと思います。上田哲さんが「「宮澤賢治伝」の再検証(二)ー<悪女>にされた高瀬露ー」で次に紹介しているのは遠野市立青笹小学校で1957(昭和32)年〜1960(昭和35)年の3...