「高瀬露さんを遠ざけるために賢治が行ったこと」を引き続き考えていきます。
当記事では「ハンセン病に罹っていると嘘をついた」話を考えたいと思います。
該当部分を悪評系文献から引用します。文中にはハンセン病の別称が使用されており、これは現在センシティブな言葉となっていると思われますが、資料という性格上そのまま掲載させて頂きます。
「私はレプラです」恐らく、このひとことが、手ひどい打撃を彼女に与え、心臓を突き刺し、二度とふたたびやってこないに違いないと、彼は考えたのだ。ところが逆に、彼がレプラであることそのことが、彼女を殉教的にし、 ますます彼女の愛情をかきたて、彼女の意思を堅めさせたに過ぎなかった。まさに逆効果であった。このひとと結婚しなければと、すぐにでも家庭を営めるように準備をし、真向から全身全霊で押してくるのであった。彼女はクリスチャンであった。「私はレプラです。」という虚構の宣言などは、まったく子供っぽいことにしか見えなかった。彼女は、その虚構の告白に、かえって歓喜した。やがては彼を看病することによって、彼のぜんぶを所有することができるのだ。喜びでなくてなんであろう。恐ろしいことを言ったものだ。
森荘已池「宮沢賢治と三人の女性」 1949(昭和24)年
べつの時、そうと聞いたら愛想づかしをしてあきらめるだろうと思い、自分はレプラだと告白調でいってみた。やはり駄目であった。おなじ墓穴を掘るにしても、こんなまずい墓穴をほるなんて、めったにあることじゃない。 内村康江は、クリスチャンであった。逃げ出すどころか、そんな不幸な身の上なら尚のこと、私の生涯をよろこんで捧げさせていただきますと、逆に彼女の殉教的な精神を煽り、結婚の意思をますます固めさせる結果となってしまった。
儀府成一「宮沢賢治 ●その愛と性」>「やさしい悪魔」 1972(昭和47)年

こちらは森荘已池のほうが表現過剰という感じがする。
この話に対して思うことは「彼女を遠ざけるためだけにそんな嘘を付くなんて色々な面で考え無しだ」ということです。彼女の普段の面倒見の良さから「そのようなことを言えばどうなるか」の予想もつけられなかったのでしょうか。

森も儀府も似たようなことを言っているけど、私たちが考えていることと方向が違う。キリスト教徒を何だと思ってるんだという印象だよ。まあこれは、賢治の行動とは関係ないからここでどうこう言うのはやめておくけど。
また、このことが思わぬところで噂になる恐れを想定できなかったのかと思います。ハンセン病罹患者は古代から現代に至るまでひどい差別・偏見を受けているのですから「露さんを遠ざけることができて一件落着」では済まない事態を呼びそうです。

自分だけでなく実家にも影響するし「実は嘘だった」と説明するにも面倒なことになるものね。実際のハンセン病患者を侮辱することにもなる。これが本当なら「賢治は大変浅薄な人物」ということになるよね。

