「頻繁な訪問は可能か」を考えてみる(2)

「頻繁な訪問が出勤前・退勤後の時間を利用しているなら」という可能性を考えてみます。

筑摩書房発行の「【新】校本宮澤賢治全集 第十六巻(下)補遺・資料 年譜篇」には「賢治が独居自炊をはじめた下根子桜の近く、向小路に住んでいた」とあり、上田哲さんは「「宮澤賢治伝」の再検証(二)ー<悪女>にされた高瀬露ー」で「(露さんは)向小路二十七番地の実家から通学していたのである」と記し、徒歩での通勤であるような表現をしています。

知りたい人
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向小路は現在の花巻市桜町2丁目あたりになるんだね。羅須地人協会からは徒歩で10分〜15分くらい、最寄り駅は羅須地人協会と同じになるから、通勤時間は徒歩でも花巻電鉄利用でも約2時間くらい…まあ、ひとまず当時の高瀬露さんは実家から通勤していたということにして考えていきましょう。

勤務校での先生方の朝礼が8時・その10分前である7時50分に学校到着と仮定します。そうすると徒歩通勤であれば真っ直ぐ学校に向かうなら遅くとも5時50分には出発ということになります。

出勤前に羅須地人協会を訪ねるとなると家を出る時間は当然その分早くなります。自宅から羅須地人協会までの所要時間10分・滞在時間30分とすると流れは以下のようになります。

自宅出発5時10分→羅須地人協会到着5時20分→羅須地人協会出発5時50分
知りたい人
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これなら森荘已池の書く「朝早く賢治がまだ起床しない時間」と言えるから、朝早くの訪問は可能ということになる。露さんは遅くとも朝4時頃に起きないといけないけどね…。

そして退勤後に羅須地人協会を訪ねる場合、退勤時間を17時30分・滞在時間30分とすると流れは以下のようになります。

学校出発17時30分→羅須地人協会到着19時30分→羅須地人協会出発20時00分→自宅到着20時10分
知りたい人
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特に冬季なんて学校を出発する時点でとっくに暗くなってるよね…。私ならどこにも寄らずに真っ直ぐ帰りたくなってしまう。

「花巻電鉄利用での通勤であった場合」上記と同じ・駅到着と同時に電車に乗れたと仮定した流れは以下のようになります。

学校出発17時30分→一本杉駅到着・電車乗車18時20分→西公園駅到着18時50分→羅須地人協会到着19時25分→羅須地人協会出発19時55分→自宅到着20時5分
知りたい人
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ちょっとごめん。前記事でも言ったけど、花巻電鉄軌道線って1日6往復半の運行でしょ? こんなに都合よく乗れる電車なんて無いと思う。それに2時間以上の通勤時間って現実的じゃないよ。当時の露さんはどうやって勤務校まで通ってたんだろう?

当時は教職員住宅もなかっただろうし…と、gooブログ版運営時から長年の疑問になっていましたが、2020年に入手した書籍にその疑問を解消する記述を見つけました。

露は「西の中の高橋重太郎」方(「鍋倉ふれあい交流センター」の近く)に当時下宿していたということを教わった。さらに、その下宿の隣家のTK氏からは、
 寶閑小学校は街から遠いので、先生方は皆「西の中の高橋さん」のお家に下宿していました。ただしその下宿では賄いがつかなかったから縁側にコンロを出して皆さん自炊しておりましたよ。
ということも教わった。

鈴木守「本統の賢治と本当の露」116ページ ツーワンライフ出版 2018(平成30)年

当時の宝閑尋常小学校所在地から「鍋倉ふれあい交流センター」付近は徒歩で10分程度の距離です。

知りたい人
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ああ、そうか…。その可能性を見落としてた。私も管理人もかなり視野が狭くなってました、反省。…ということは「露さんは西方の村に住んでいて、そこから羅須地人協会に通っていた」ということになるね。

おそらく土曜日の授業終了後に花巻電鉄を利用して実家に帰り、日曜日の昼過ぎ〜夕方頃に同じく花巻電鉄を利用して下宿先に戻ったのでしょう。

知りたい人
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ところで、この時の露さんはすでにキリスト教の信徒になっていたから、週末に実家に戻って最優先させる用事は「日曜日の礼拝への出席」であり、羅須地人協会へ行くのはそのついでレベルだったんじゃないかと思うんだよね…。
まあそれはともかく、どういう条件であれ「1日に2回も3回も」羅須地人協会を訪れるなんて不可能であることがこれで分かりましたね。

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