森文献より「和服姿の女性」(6)

知りたい人
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…とここまで考えてきてふと気がついた。その「和服姿の女性」の話、高瀬露さんに関係あるのかな。「宮沢賢治と三人の女性」にも「高雅な和服姿の”愛人”」にもその女性が何者であるかなんて書いてないし。

高雅な和服姿の”愛人”」が収録されている書籍「ふれあいの人々 宮沢賢治」の20ページに「カレー・ライスを固辞」と題された文章があります。「高雅な和服姿の”愛人”」から連載3回分先にあたるこの文章、賢治と露さんの通説のひとつである「ライスカレー事件」をテーマとした内容ですが、その文頭にはこんな一節があるのです。

宮沢賢治の伝記映画を作ることになったら、もっとも生き生きとした画像に表現できるのは、 羅須地人協会時代であろう。女人関係となったら、「T女登場」になろう。
T女が、紅葉のように上気して帰った次の日のこと。私は井戸端で顔を洗おうとしていた。水を汲
(く)んだ茶腕(わん・ママ)に、賢治がパラリと入れたものがある。それは青い松の葉の数本であった。水に浮いて、底に影を落とした。
「女の人が来たでしょう。あなたが、とまったでしょう。 女の人が、とまったことになるんです。」

森荘已池「ふれあいの人々 宮沢賢治」>20ページ「カレー・ライスを固辞」1980(昭和55)年
知りたい人
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「紅葉のように上気して帰った」女性=「森荘已池が賢治を訪ねる途上ですれ違った」女性、その人のイニシャルをしっかり出してるね。確かに露さんのイニシャルは苗字も名前もT(Takase Tsuyu)。これだけで決定的とは言えないけど、特定はしやすくなってしまっているね。

この連載の3年前である1977(昭和52)年、「校本宮澤賢治全集」第14巻で高瀬露さんの名前が公表されました。これによって多くの賢治愛好家は「賢治の元によく出入りしていたイニシャルがTの女性=露さん」と認識してしまったのです。

知りたい人
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ああそうか…。仮に森荘已池が「露さんではない、別のTという女性」のことを記していたとしても、こうなってしまった以上「露さんとは無関係の話」と言うことは出来ないね。

最後に、上田哲さんの文献より重要な話を引用します。

森は彼女に逢ったのは、<一九二八年の秋の日><下根子を訪ねた>(注 下根子とは賢治の羅須地人協会である)その時、彼女と一度あったのが初めの最後であった。その後一度もあっていないことは直接わたしは、同氏から聞いている。

上田哲「「宮澤賢治伝」の再検証(二)—<悪女>にされた高瀬露—」1996(平成8)年
知りたい人
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えっ! 森は和服姿の女性、つまり露さんとは一度すれ違っただけで本に書けるほどの会話すらしてないってことを自分で明かしてるんだ!
…あ、でも、当時の森は確か…。

「和服姿の女性」(2)」でも書いた通り、羅須地人協会活動期間中の森荘已池は「東京在住、その後重病を患い長期入院していた」ということが判明しています。ということは和服姿の女性=高瀬露さんも顔すら合わせたことがない、つまり森は上田さんに嘘の証言をしたということです。

知りたい人
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それなら「高雅な和服姿の”愛人”」で書いた「この女の人が、ずっと後年結婚して、何人もの子持ちになってから会って、色々の話を聞き」という部分も和服姿の女性が日記に書いたという文章それを人に言いふらす問題ある人物はやはり全て森荘已池の創作だったってことになるよね…。なんかもう、言葉もないよ…。

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