記事「宛名のない手紙下書き」関連の資料ページ。
宮沢賢治が1929(昭和4)年ごろ書いたとされる宛先の判らない手紙の下書き・下書き断片群を掲載しています。
記事内に引用すると長くなってしまうため当ページを設けました。
手紙下書き252a系
(手紙下書き252a)
お手紙拝見いたしました。
法華をご信仰なさうですがいまの時勢ではまことにできがたいことだと存じます。どうかおしまひまで通して進まれるやうに祈りあげます。そのうち私もすっかり治って物もはきはき云へるやうになりましたらお目にかゝります。根子では私は農業わづかばかりの技術や芸術で村が明るくなるかどうかやって見て半途で自分が倒れた訳ですがこんどは場所と方法を全く変へてもう一度やってみたいと思って居ります。けれども左の肺にはさっぱり息が入りませんしいつまでもうちの世話にばかりなっても居られませんからまことに困って居ります。私は一人一人について特別な愛といふやうなものは持ちませんし持ちたくもありません。そういう愛を持つものは結局じぶんの子どもだけが大切といふあたり前のことになりますから。
尚全快の上。
(手紙下書き断片252a-1)
お手紙拝見いたしました。前から会ひたいと仰ってゐられたのがあなただったこともやっとわかりました。法華の信者といふものですから上根子あたりの人だと思ってゐました。何分左の肺がつぶれてゐますのでまだあまり高声もできませず殊に寝てゐても人に会ひたくない
(手紙下書き断片252a-2)
お手紙拝見いたしました。
法華をご信仰なさうですが、どうかおしまひまで通してお進みになるやう祈りあげます。何よりもお題目が第一なやうですから一心にお題目をお唱へになってその力でまた
手紙下書き252b
(手紙下書き252b)
お手紙拝見いたしました。
南部様と仰るのはどの南部様か紹介下すった先がどなたか判りませんがご事情を伺ったところで何とも私には決し兼ねます。全部をご両親にお話なすって進退をお決めになるのが一番と存じますがいかゞでせうか。私のことは誰かが云ふと仰いますが私はいろいろの事情から殊に一方に凝り過ぎたためこの十年恋愛らしい
手紙下書き252c系
(手紙下書き252c)
重ねてのお手紙拝見いたしました。独身主義をおやめになったとのお詞は勿論のことです。主義などといふから悪いですな。あの節とても教会の犠牲になっていろいろ話の違ふところへ出かけなければならんといふ時でしたからそれよりは独身でも明るくといふ次第で事実非常に特別な条件(私の場合では環境即ち肺病、中風、質屋など、及び弱さ、)がなければとてもいけないやうです。
一つ充分にご選択になって、それから前の婚約のお方に完全な諒解をお求めになってご結婚なさいまし。どんな事があっても信仰は断じてお棄てにならぬやうに。いまに[数字分空白]科学がわれわれの信仰に届いて来ます。もひとつはより低い段階の信仰に陥らないことです。いま欧羅巴が印度仕込みのそれで苦しんでゐるやうです。さて音楽のすきなものがそれのできる人と詩をつくるものがそれを好む人と遊んでゐたいことは万々なのですがあなたにしろわたくしにしろいまはそんなことしてゐられません。あゝいふ手紙は(よくお読みなさい)私の勝手でだけ書いたものではありません。前の手紙はあなたが外へお出でになるとき悪口のあった私との潔白をお示しになれる為に書いたもので、あとのは正直に申し上げれば(この手紙を破ってください)あなたがまだどこかに私みたいなやくざなものをあてにして前途を誤ると思ったからです。あなたが根子へ二度目においでになったとき私が「もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかったらあなたと結婚したかも知れないけれども、」と申しあげたのが重々私の無考でした。あれはあなたが続けて三日手紙を(清澄な内容ながら)およこしになったので、これはこのまゝではだんだん間違ひになるからいまのうちはっきり私の立場を申し上げて置かうと思ってしかも私の女々しい遠慮からあゝいふ修飾したことを云ってしまったのです。その前後に申しあげた話をお考へください。今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三ぺんも写真をおよこしになったことです。あゝいふことは絶対なすってはいけません。もっとついでですからどんどん申しあげませう。あなたは私を遠くからひどく買ひ被っておいでに
(手紙下書き断片252c-1)
なすってゐるものだと存じてゐた次第です。どんな人だってもにゃにゃ考へてゐる人間から力も智慧も得られるものでないですから。その他の点でも私はどうも買ひ被られてゐます。品行の点でも自分一人だと思ってゐたときはいろいろな事がありました。慶吾さんにきいてごらんなさい。それがいま女の人から手紙さへ貰ひたくないといふのはたゞたゞ父母への遠慮です。これぐらゐの苦痛を忍ばせこれくらいの犠牲を家中に払はせながらまだ心配の種を播く(いくら間違ひでも)といふことは弱ってゐる私にはできないのです。誰だって音楽のすきなものは音楽のできる人とつき合ひたく文芸のすきなものは詩のわかる人と話たいのは当然ですがそれがまはりの関係で面倒になってくればまたやめなければなりません。
(手紙下書き断片252c-2)
お手紙拝見いたしました。
やうやくあなたも私の弱点がはっきりお見えになったやうで大へん安心いたしました。何べんも申しあげてゐる通り私は宗教がわかってゐるでもなし確固たる主義があって何かしてるでもなしいろいろな異常な環境(質屋とか肺病とか中風とか)から世間と違った生活のしやうになった(強い人ならばならなくても済む訳です)だけのことでいまでもその続きなのです。文芸へ手は出しましたがご承知でせうが時代はプロレタリヤ文芸に当然還って行かなければならないとき私のものはどうもはっきりさう行かないのです。心象のスケッチといふやうなことも大へん古くさいことです。そこで只今としては全く途方にくれてゐる次第です。たゞひとつどうしても棄てられない問題はたとへば宇宙意思といふやうなものがあってあらゆる生物をほんたうの幸福に齎(もたら)したいと考へてゐるものかそれとも世界が偶然盲目的なものかといふ所謂信仰と科学とのいづれによって行くべきかといふ場合わたしはどうしても前者だといふのです。すなはち宇宙には実に多くの意識の段階がありその最終のものはあらゆる迷誤をはなれてあらゆる生物を究竟の幸福にいたらしめようとしてゐるといふまあ中学生の考へるやうな点です。ところがそれをどう表現しどう動いていったらいゝかまだ私にはわかりません。そこであなたがわたくしの主義のやうにお働きになるといってもわたくしはまああなたの最善の御考の通り
(手紙下書き断片252c-3・1〜2行ほどで終わっているもの)
ご返事申しあげようと思ひますがどうもつかへてしまひます。早い話はあなたは何か一つの真理お手紙拝見いたしました。お詞通りあれは絶交状ではありません。まあ率直に云へばあなたが家庭にお入りになり
いかにもご尤もなお手紙です。われわれの発願が到底一生や二生にできることではないのですから
お手紙拝見いたしました。独身主義だなんてもちろん主義にも何にもなっていません
お手紙拝見、いちいちご尤もです。独身を主義だなんて云ふからいけないですな。ゴム靴主義パン食主義の類いです。
(手紙下書き断片252c-4)
お手紙拝見、一一ご尤もです。まことの道は一つで、そこを正しく進むものはその道(法)自身です。みんないっしょにまことの道を行くときはそこには一つの大きな道があるばかりです。しかもその中でめいめいの個性によって明るく楽しくその道を表現することを拒みません。生きた菩薩におなりなさい。独身結婚は便宜の問題です。一生や二生でこの事はできません。されば信ずるものはどこまでも一緒に進まなければなりません。手紙も書かず話もしない、それでも一緒に進んでゐるのだといふ強さでなければ情ない次第になります。なぜならさういふことは顔へ縞ができても変り脚が片方になっても変り厭きても変りもっと面白いこと美しいことができても変りそれから死ねばできなくなり牢へ入ればできなくなり病気でも出来なくなり、ははは、世間の手前でもできなくなるです。大いにしっかり運命をご開拓なさいまし。