気になる2点

校本宮澤賢治全集」と「【新】校本宮澤賢治全集」、「賢治をめぐる女性たち——高瀬露を中心に」からそれぞれ、高瀬露さんのプロフィールを引用しましたが、それらを見て気になる点が2つ出てきました。当記事ではそれらを上げていきたいと思います。

気になる点その1「没日の相違」

露さんの没日は以下のように記載されています。

校本宮澤賢治全集」と「【新】校本宮澤賢治全集」:1970(昭和45)年2月23日
賢治をめぐる女性たち 高瀬露を中心に」:1970年7月

上田哲さんの他の資料「「宮澤賢治伝」の再検証(二)ー<悪女>にされた高瀬露ー」では遠野カトリック教会の洗礼台帳を引用して「1970年7月23日」と記載しています。

知りたい人
知りたい人

1日2日程度ならまだしも、5ヶ月も違うのは流石に…だよね。どちらが間違えているんだろう?

gooブログ版では「校本宮澤賢治全集」「【新】校本宮澤賢治全集」側が誤記をしているものと決めつけ「賢治研究者側の高瀬露に対する姿勢が透けて見えるような気がします」などと述べてしまいました。

しかし、遠野市にある露さんおよび娘さんと思われる女性の墓標には、露さんのお名前の下に「1970年2月23日帰天」と記されているのです。ですので、この点に関しては上田さんが誤記をしていたと言わざるを得ません。

知りたい人
知りたい人

墓標に記されてるなら確実だな。教会台帳の字はおそらく手書きだろうから、そのせいで上田さんが「2」を「7」と見間違えてしまったのかもしれないね。
しかし管理人も、ずいぶんなことを言ったもんだね…。

「なるべく公平な記述を心がけている」などと言いながら、「全集」側への思い込みで失礼な発言をしてしまいました。お詫び申し上げます。

気になる点その2「決まって使われる言葉」

校本宮澤賢治全集」「【新】校本宮澤賢治全集」とも、締めとして「高瀬は後幸福な結婚をした」という言葉を使っています。

悪い言葉ではないのですが「強引かつ適当な締め方」という印象も受けるのです。

知りたい人
知りたい人

そりゃ、賢治が生涯を閉じる前に縁遠くなった人なんだから、全集側に「露さんのその後を詳しく記す義務」はないよ。なんか引っかかるという気持ちも分からなくはないけど、間違ったことは言ってないじゃん。
それはそれとして、結婚後の露さんの様子が気になるところだと思う方もおられるんじゃないかな。

結婚後の露さんはどういう様子だったのか、次回から資料を引用しながら述べていきたいと思います。

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