森荘已池の「高雅な和服姿の”愛人”」は締めに後日談的な一文を入れています。以下に引用します。
この女の人が、ずっと後年結婚して、何人もの子持ちになってから会って、色々の話を聞き、本に書いた。
森荘已池「ふれあいの人々 宮沢賢治」>17ページ「高雅な和服姿の”愛人”」1980(昭和55)年
この人の娘さんが、亡き母の知人に「古い日記に母が『宮沢賢治は、私の愛人』と書いております」と話したという。

知りたい人
え、マジ? …と一瞬思ったけど、よく読むと全然違う。この文章、ちょっとややこしいことになってるんです。大多数の人は一見して以下のように受け取ったのではないでしょうか。
森荘已池は後年、結婚し母親になった「高雅な和服姿の女性」に会い、色々話を聞いて本に書いた。彼女の娘も「亡き母の知人へ、母が古い日記に『宮沢賢治は、私の愛人』と書いていたことを話した」と森荘已池に明かした。
この文章には場面が2つあるのです。以下に書き出します。
1.森荘已池は後年、結婚し母親になった「高雅な和服姿の女性」に会い、色々話を聞いて本に書いた
2.さらに時は経ち「高雅な和服姿の女性」亡き後、彼女の娘が女性の知人に「古い日記に母が…」と話したということを、何者かが森荘已池に聞かせた
つまり:女性の娘→女性の知人→(第三者)→森荘已池

知りたい人
「「和服姿の女性」(1)」でも言ったけど、「高雅な和服姿の”愛人”」って出来事が前後していたりなど、注意して読まないと混乱してしまうような構成になってるんだよね…。「和服姿の女性の娘の話」は注意したうえで何回も読み返さなきゃいけないくらいややこしい書き方をしてる。
「高雅な和服姿の女性」が古い日記に『宮沢賢治は、私の愛人』と書いていたという「女性の娘」の話は何者かからの又聞きであり、その「何者か」が「和服姿の女性母娘・その知人とどういう関係性であるか」を森荘已池は一切書いていません。

知りたい人
果たしてその日記…いや日記だけじゃなくて、この文章に出ている人々も実在するのかなぁ。これまでのことを考えると「全て森荘已池の創作という可能性があるのでは」とか考えてしまうんだよね。
それに加えて、「森は、和服姿の女性の娘・知人も『人の日記の内容を他言するような問題ある人物』に仕立て上げることで和服姿の女性を徹底的に貶めようとしているのでは…とも考えてしまいます。

知りたい人
流石にそれは勘ぐりすぎ…とは言い切れないな、これまでの流れを見ていたら…。

