前記事では「悪評」の原因などを高瀬露さん・高橋慶吾の人物像から想像してみました。
陰口という形になってはいますが、高橋はあくまで「内輪話」として協会員仲間に「露さんの愚行」を話したに過ぎません。仲間があまりその話題に乗ってこなかったことから「高橋慶吾=あまり信用されてない人物が語る露さんの愚行」は何事もなければすぐに忘れられる他愛のない話で終わっていたのでしょう。
しかしそれはなぜか広い範囲に伝わり「文豪のトリビア」として扱われるほどになってしまいました。
気になる証言
上田哲さんの論文「「宮沢賢治伝」の再検証(二)ー<悪女>にされた高瀬露ー」にこのような話があります。
そのこと(引用者注:露さんの「愚行」やそれに対する賢治の行動などに数々の疑問点や矛盾点が出てくること)を古くからの賢治研究家である鏑慎二郎に話したところ、わたしもあなたと同じような疑問をもっていました。どうもこの話は作り話臭いところがあります。火のないところに煙は立たないから全部否定はしませんがといって次のようなことを語ってくれた。
上田哲「「宮沢賢治伝」の再検証(二)ー<悪女>にされた高瀬露ー」 1996(平成8)年
昔、田舎は娯楽が乏しかったので男と女の間のことについての噂話は大きな娯楽でした。それほどのことでない話も村中をまわりまわっているうちに拡大され野卑な尾鰭背鰭がいくつもついてバトンタッチ毎に変形されるから元は一つの話でもあきられず村中を何回もまわることがあります。高瀬露が賢治のところをしばしば訪ねていたとしたら、こういう噂話の好きな人々の間では恰好の材料だっただろう。
昔は、先生や役人は雲の上の人。賢治も露も二人とも先生でした。「先生だって……」と先生やお役人のこの種の噂は特に好まれました。こうして賢治と露の話は村中にひろがっていったようです。
ただ、田舎におけるこの種の話は直接的でいくら尾鰭がついても基本的には、単純な構成であるのに賢治と露の話はストリー性があるんです。それから田舎のこういう噂話は大体、村や部落1の範囲をめぐっているだけなのに賢治と露の話の場合は、間を飛んで町の方しかも賢治にかかわりをもつ人々の住む町に伝わっているんです。この噂話は、田舎の人が作ったのではなく……あるいは田舎の人でも都会生活の経験者が作ったのかも知れない。また、伝わり方も誰かあやつっている人がいるような気もする。
このような内容であった。現代的にいえば何者かがシナリオを作り、意図的な情報操作が行なわれていたようだという指摘である。
「人の口には戸が立てられない」という言葉どおり、実際頻繁な訪問は不可能であったにしても、週に1回程度でも「独り身の男性の家に女性がひとりで訪れる」ことは充分周囲の人々の興味を惹きつけるし、ある程度の噂が立ってしまうことは仕方がないことです。
それでも話すことと言えばせいぜい「高瀬さんちの女先生と宮沢家の長男はいい関係になってるんだろう・あの日もよろしくやっていたんだろうな・二人は結婚するんじゃないのか」みたいな、品は良くないけどあくまでも単純な話に過ぎないでしょう。
大体の噂話が村や集落の範囲を巡っているだけというのは、所詮「内輪話」に過ぎないがゆえということなのかもしれません。
上記引用文初見時「ん?」と思ったのは、
- 賢治と露さんの話にはストーリー性がある
- 賢治と露さんの話は下根子桜から間の村を飛び越えて賢治に関わりを持つ人々が住む町に伝わっている
- この話は地域の人ではない「都会出身か都会生活を経験した何者か」が作ったのでは
という点でした。
更に続く鏑慎二郎さんの言葉「また、伝わり方も誰かあやつっている人がいるような気もする」には背筋が軽くゾッとしたのを今でもよく覚えています。
「悪評」を作り村の外へ運んだのは誰?
「ストーリー性のある噂話を作り賢治に関わりを持つ人々が住む町へ持ち込んだ都会生活経験者」とは。具体的な人物像を整理すると以下のようになります。
- 都会生活を経験している
- 噂話にストーリー性を持たせる創作能力がある
- 宮沢家別宅と賢治の関係者が住む町を行き来する機会がある
- 賢治だけでなく、賢治の関係者ともある程度の面識がある
「都会生活経験者で創作能力あり」というだけでだいぶ対象が絞られてくるね。
…私はやっぱり高橋慶吾じゃないかと思う。彼は一時期東京に行っていた時期があると上田哲さんの論文にも書いていたし、座談会ではあんなに得意げに「露さんの愚行とそれに振り回される賢治」のことを話していたからね。
高橋慶吾はどちらかというと「簡単に噂話を作り村の外で吹聴した」、あくまでも「元ネタ」という立場になると思います。
というのも、座談会で高橋が語っていることをよく見てみると「単純な構成に単純な尾ひれを付けただけ」で、地域の人々がする噂話(内輪で巡るだけの話)とあまり変わりがありません。
そして高橋はその人柄からあまり人望がなかったことも分かっています。そんな人がこのような「人を貶めるような噂話」をしても「軽薄な人が品のないことを言っている」とスルーされて終わるでしょう。現に座談会でも、参加者のCさんとMさんは「露さんの愚行とそれに振り回される賢治」の話を適当に流すような対応をしています。
それから重大なことが1点。数々の悪評系文献に必ず書かれているのに、高橋の話す「露さんの悪評」には全く出てこない出来事があります。前記事でも述べていましたが、それが何だか分かるでしょうか。
えーと…あ、そうだった!
高橋は「露さんが賢治を中傷して歩いた」ということは言っていなかったよね。
では、これだけは「別の人物」が創作したってことになるんだね。
その「別の人物」がメインの立場になるのだと思います。それが誰なのか、何となく「この人では」という予想はしているのですが、決め手もないのでここでお名前を上げるのはやめておきます。
「悪評」を広めた理由を考える
「ストーリー性のある噂話を作り賢治に関わりを持つ人々が住む町へ持ち込んだ都会生活経験者(以下「X氏」)」の行為は「露さんを完全な悪者にする」ことを意図しています。
X氏は必要があるからこそこのようなことをしたのだと思いますが、こんなことをした理由はいくら考えても「羅須地人協会活動失敗の言い訳や賢治聖人化のため」としか考えられません。
羅須地人協会の活動は約2年ほどという短い期間でした。活動が終わった理由は表向きには「賢治が重い病を患ったから」なのですが、実はそれだけではなかった可能性があります。
賢治の農業への考え方や協会の活動は大部分の農民の実情と大きくかけ離れていました。周囲の農民から「金持ちの息子が道楽で農業をやっている」と思われても仕方ない部分があったのです。それを知って協会から離れていった人は決して少なくなかったと思います。
加えて「協会の活動が公安に良からぬものと疑われた」ということもあり、早急に活動を畳まなければならなかったようです。
「農民のことを思い自分を犠牲にして働いた聖人賢治」の活動として、このような「実際の羅須地人協会とその結末」はあまり格好良いものではありません。だから羅須地人協会の活動がうまく行かなかった理由を「賢治のせいではない事象」に設定しようとしたのでしょう。
賢治のもとに出入りしていたという事実がある女性=露さんは、そんな「企み」にちょうどいい存在です。X氏は露さんを本当に便利な「人形」だと考えていたと思います。いざとなったら「火のないところに煙は立たない」という言葉を盾にすることもできるのですから。
ここまで書いておいていうのもなんですが、上記はすべて私の憶測です。
ですが「狭い地域で完結するはずの取るに足らない噂話が不自然にストーリー性を持ち不自然な伝わり方をした」と聞くと、それだけで深い闇が奥に広がっているような気がしませんでしょうか。
- 現代ではセンシティブ判定を受ける言葉(gooブログ版では不適切表現として非表示にされた経験あり)ですが、資料という性格上そのまま掲載しております。ご了承ください。 ↩︎