宮沢賢治の「彼女への対応」に対して色々考える

「頻繁に訪問してくる高瀬露さんに困惑した宮沢賢治が彼女を遠ざけるために取った対応」、実はどれも、次に取り上げる「ライスカレー事件」と共に「元ネタ」があるのですが、それは「悪評の原因」としてまた後日述べていきたいと思います。

当記事では一連の賢治の行動に対して私が思うことを書いてまいります。

居留守・身を隠す・顔を汚しての応対

まず「居留守を使った・押し入れや別の部屋に身を隠した・顔を汚して応対した」エピソードを悪評系文献からそれぞれ引用します。

段々女の人が大變な熱をかけてくるので隨分困つてしまつたやうです。 「本日不在」といふ張紙を貼つて置いたり、或ひは別な部屋にかくれて、なるべく逢はないやうにしたりしてゐたのですが、さうすればする程いよいよ拍車をかけてくるので、しまひには賢治も怒つてしまひ、その女の人に辛くあたつた樣です。

関登久也「宮沢賢治素描」>202〜203ページ「女人」 真日本社 1947(昭和22)年

関登久也(関徳弥)は出来事をシンプルに記しています。そして「顔を汚して応対した」という行動は記述されていません。

彼はすっかり困惑してしまった。「本日不在」の札を門口に貼った。顔に墨を塗って会った。あるとき協会員のひとりが訪れると、賢治はおらず、その女の人がひとりいた。
「先生はいないのですか。」と彼がまぶしそうに恐る恐るきくと、「いません——。」と彼女は答えた。「どこへ行ったのでしょうか?」と重ねてきくと、女は不興そうに「さあ、解りません——。」と、ぶっきら棒に答えた。仕方なく彼が帰ろうとすると、俄かに座敷の奥の押入の襖があいて、何とも名状しがたい表情の賢治があらわれ出たのであった。彼女の来訪を知って賢治は素早く押入の中に隠れていたのであった。

森荘已池「宮沢賢治と三人の女性」 1949(昭和24)年

森荘已池文献には「顔に墨を塗る」という記述があります。また、居留守を使うことによって生じたトラブルや来客と女性の会話も描写されています。

あくる日の羅須地人協会の入口には、「本日不在」の木の札が下げられた。その木の札が、十日も掛けられっぱなしになっていることもあった。居るすをつかい、嘘をつき、逃げかくれた。つかまると、賢治は顔じゅうに灰やスミを塗り、わざとぼろをまとって乞食の風を粧い、彼女の前にあらわれた。(中略)
ある日協会員のひとりが、急ぎの用事で桜へ出かけた。 が、賢治の姿はなく、内村康江がひとり、放心のさまで立っていた。「先生はおいでになりませんか」協会員といっても、彼は農学校時代の賢治の教え子でもあったから、勇気を出して彼女に声をかけた。「おりません」いつも愛想の良い彼女から、ブッキラボーな返事が反ねかえった。「どこへ行ったのか、何時ごろ帰るのか、わかりませんか」すこし間をおいて、「わかりません」と彼女はこたえたが、それが如何にも面倒くさそうで、「わかるわけなど、ないじゃありませんか」と、切り返すような語調だった。
(中略)
その会員は帰ることにして、ひとこと賢治へのことづてを彼女にたのみ、 向きをかえようとしたとき、彼女の後ろの戸がさっとあいて、顔を異常に興奮させた賢治がとび出してきた。
(中略)
おもうに家にいた賢治は、彼女の不意の来訪をすばやく感知して、といって遠くへ逃げる時間などなく 押入れの中にとびこみ、呼吸をころして隠れていたのであろう。

儀府成一「宮沢賢治 ●その愛と性」>「やさしい悪魔」 1972(昭和47)年

そして儀府成一文献。改めて見ると「森文献の流用+描写を水増し」といった感じですね。水増しに夢中になったせいなのか一部賢治の行動におかしな点が出てしまいました。これは上田哲さんも指摘されていますが、それは置いておいて…。

この逸話に関していつも意味が分からないと感じるのは「炭なり墨なり灰なりを顔に塗って応対する」ことなんです。儀府文献においては「わざとぼろをまとって乞食の風を粧い」という記述まであります。「彼女はこういう見た目を嫌悪してすぐ帰る」と思ってやったというのでしょうか。それならば「何を今更」と思ってしまいます。

普段から畑仕事などをしているのだから顔も服もある程度汚れているのが常でしょうし、「女の人」=露さんも最初からそれを承知で接してきているはずです。そんな状態でわざと顔を汚したりボロボロの服を纏ったところで何の効果もないと思うのですが。

「難病罹患」告白

次に「ある難病」=ハンセン病に罹っていると嘘をついた話を悪評系文献から引用します。引用文献にはハンセン病の別称が記載されています。これは現在センシティブワードにあたると思われますが、資料という性格上そのまま掲載させて頂きます。

「私はレプラです」恐らく、このひとことが、手ひどい打撃を彼女に与え、心臓を突き刺し、二度とふたたびやってこないに違いないと、彼は考えたのだ。ところが逆に、彼がレプラであることそのことが、彼女を殉教的にし、 ますます彼女の愛情をかきたて、彼女の意思を堅めさせたに過ぎなかった。まさに逆効果であった。このひとと結婚しなければと、すぐにでも家庭を営めるように準備をし、真向から全身全霊で押してくるのであった。彼女はクリスチャンであった。「私はレプラです。」という虚構の宣言などは、まったく子供っぽいことにしか見えなかった。彼女は、その虚構の告白に、かえって歓喜した。やがては彼を看病することによって、彼のぜんぶを所有することができるのだ。喜びでなくてなんであろう。恐ろしいことを言ったものだ。

森荘已池「宮沢賢治と三人の女性」 1949(昭和24)年

べつの時、そうと聞いたら愛想づかしをしてあきらめるだろうと思い、自分はレプラだと告白調でいってみた。やはり駄目であった。おなじ墓穴を掘るにしても、こんなまずい墓穴をほるなんて、めったにあることじゃない。 内村康江は、クリスチャンであった。逃げ出すどころか、そんな不幸な身の上なら尚のこと、私の生涯をよろこんで捧げさせていただきますと、逆に彼女の殉教的な精神を煽り、結婚の意思をますます固めさせる結果となってしまった。

儀府成一「宮沢賢治 ●その愛と性」>「やさしい悪魔」 1972(昭和47)年

こちらは森文献のほうが表現がやや過剰という感じですね。

この話に対して思うことは「彼女を遠ざけるためだけにハンセン病に罹っていることを騙ったなんて色々な面で考えなしだ」ということです。

彼女の普段の面倒見の良さから「そのようなことを言えばどうなるか」の予想もつけられなかったのでしょうか。

また、このことが思わぬところで噂になる恐れを想定できなかったのでしょうか。ハンセン病罹患者は古代から現代に至るまでひどい差別・偏見を受けているのですから「彼女を遠ざけることができて一件落着」では済まない事態を呼びそうです。

「賢治はそんな○○な人だったのだろうか?」

一連の話に対して上田哲さんは以下のような指摘をしています。

賢治は、詩人として普通の人と違う変わった所があったかも知れないがそれほど常識はずれの人ではなかった。「本人不在」の札を出して居留守を装うような幼稚な姑息な手段を使うような卑屈な人だったのだろうか。「本人不在」の札を十日も出しっ放しにしておいたら大切な用事をもってきた人に迷惑をかけることがあるかも知れない。また自分にとっても不利益や困ったことが生ずることがあるかも知れない。こういうことに考えが及ばない莫迦な人だったのだろうか。ましてや顔に墨や灰を塗ったり、乞食の真似をしたり、レプラだといったり、その様な馬鹿げたことをしたであろうか。

上田哲「「宮澤賢治伝」の再検証(二)ー<悪女>にされた高瀬露ー」 1996(平成8)年

当初は私も「彼女の来訪を苦痛に感じ始める→言うべきことを言わずいきなり居留守という手段に出る」と読める描写には首をかしげていました。

当時の賢治は30歳前後、「花巻町のセレブの長男」だからそれなりの常識くらい身につけているはず、彼女の来訪を迷惑に思ったならまずその旨を伝えるのが大人の対応、居留守を使うのは最終手段であり、それも周囲に根回しをした上で行うものだと分かっているはずだろう、と思っていたのです。

上田さんの「幼稚な姑息な手段を使うような卑屈な人だったのだろうか」「こういうことに考えが及ばない莫迦な人だったのだろうか」という言葉にも大きく頷き「悪評系は間接的に賢治も貶めてるじゃないか」と呆れていました。

しかし時を経て改めて考えると、過去大きく頷いた上田さんの言葉に対し「卑屈な人ではない・莫迦な人ではないとは言い切れない、『こういう理由』で賢治は本当に居留守を使ったのでは?」と思うようになったのです。

次項で『こういう理由』を述べていきます。ちなみに顔を汚す・ハンセン病罹患を騙るといった行為に対しては現在も懐疑的です。

個人的見解「実は賢治が勘違いしていた?」

私の想像の範囲での記述になることを先にお詫びいたします。

賢治が露さんの訪問を避けるために居留守を使ったというのはおそらく本当のことだったのかも知れません。ただ、

あるとき協会員のひとりが訪れると、賢治はおらず、その女の人がひとりいた。
「先生はいないのですか。」と彼がまぶしそうに恐る恐るきくと、「いません——。」と彼女は答えた。「どこへ行ったのでしょうか?」と重ねてきくと、女は不興そうに「さあ、解りません——。」と、ぶっきら棒に答えた。仕方なく彼が帰ろうとすると、俄かに座敷の奥の押入の襖があいて、何とも名状しがたい表情の賢治があらわれ出たのであった。彼女の来訪を知って賢治は素早く押入の中に隠れていたのであった。

森荘已池「宮沢賢治と三人の女性」 1949(昭和24)年

こんな行為はこれが最初で最後だったのではないでしょうか。つまり「賢治は衝動的に露さんを避けたくなり衝動的に行動に移した」ということです。だからこそ露さんに訪問を控えるよう告げることも他の協会員に根回しをすることもできず、こんなトラブルが起こったのでしょう。

賢治がこんな行動をした理由は「賢治が露さんを異性として過剰に意識し、どう振る舞っていいか分からなくなったから」。

そして露さんは我々が思っているほど賢治に対してあまり異性としての意識は抱いておらず、あくまでも弟子として賢治のもとに通っていたに過ぎないのではないかと思います。

要は「女性の建前の笑顔を『自分への恋心』と勘違いする男性」と似たようなもので、協会員として積極的に雑務をこなす露さんに対し賢治が勘違いをしたということです。

繰り返しますがこれは私の想像であり、真実は賢治と露さんに聞かなければ分からないことですが、このエピソードを読んでいると「賢治が一人であたふたしている」印象も受けるのです。

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