この「謎の『文書』」カテゴリでは宮沢賢治と高瀬露さんに関わるとされるものの「色々とはっきりしない部分がある」手紙やハガキなどを取り扱ってまいります。
「謎の『文書』」カテゴリ第1回目は賢治が遺した手紙の下書き・下書き断片について思うことなどを述べていきたいと思います。
謎の「手紙下書き」とは
当記事で取り上げるのは1929(昭和4)年に「賢治が露さんに宛てて書いたとされる手紙の下書き及び下書きの断片」です。
これらは「露さん宛てと判明していたが、露さんの存命中は彼女の私的事情を慮って公表を控え、1977(昭和52)年発行の校本宮澤賢治全集第14巻(筑摩書房)で初めて公表された」という経緯があるものです。
それからというもの、多くの人々は無条件にそれを信じることになりました。
私も情けないながらそのひとりで、gooブログ版で「悪評の原因について考える」記事を書いた際にこれらの下書きも露さん宛てとした前提で文章を連ね、記事をアップしていきました。
そしてある日、読者の方からその記事に「露さん宛てとされる手紙の下書きが、どうして露さん宛てと断定されるのか校本を何度見てもわからない」という旨のコメントを頂きました(感謝!)。自分の注意力不足を改めて恥じております。
まずは当該文書をご覧いただくところですが、当記事に引用すると長くなりますので別にページを設けて掲載いたしました。以下のリンクからご覧ください。
「宛先不明の手紙」は他にもあるのに
ではここから「この手紙下書きが露さん宛てと断定できる決め手」などを考えていきたいと思います。
当記事用資料ページに引用した賢治の手紙下書きの出典(筆者手持ちの資料)は「宮沢賢治全集9 ー書簡」(ちくま文庫)です1。
それを見てみると他にも宛先不明の手紙下書きが数通あるのです。それらは備考で「(根拠を提示し)〇〇宛てと推測される・〇〇宛てと推測されるが未詳・必ずしも決定的でない」と記述していたり宛先に関する記述はせず不明のままにしています。
当記事で扱う下書きも宛先は全く判りません。女性に宛てて書いたのだろうと推測される箇所のあるものもあれば男性宛でも全く不自然じゃないものもあります。2
ですが全集の備考や解説には「何を根拠として露さん宛てと断定した」という記述さえありません。「言わなくても見れば判るでしょ」と言いたげな雰囲気です。
「理由」を考えてみたが…
以下に私が考えついた範囲の「下書き252a系・252b・252c系が露さん宛てと断定できる理由」を記述します。
1.「私は一人一人について特別な愛といふやうなものは持ちませんし持ちたくもありません(252a)」「私はいろいろの事情から殊に一方に凝り過ぎたためこの十年恋愛らしい(252b)」等恋愛や結婚に関するような言葉が出ているから
2.「品行の点でも自分一人だと思ってゐたときはいろいろな事がありました。慶吾さんにきいてごらんなさい(252c-1)」のとおり、露さんを賢治に紹介したとされる人物・高橋慶吾の名前が出ているから
3.252cの内容全て、特に「あなたが根子へ二度目においでになったとき私が「もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかったらあなたと結婚したかも知れないけれども、」と申しあげたのが重々私の無考でした」という一節
当記事を書くにあたり改めて、そして何度も下書き群を読み返しましたが、やはりこれだけしか「それらしい理由」は挙がってきませんでした。
いずれも「露さん宛てとも考えられる」とするならまだしも「露さん宛てと断定する」には弱すぎます。
252c・252c-1は「女性宛て」らしい雰囲気ではあります。ですが…
gooブログ版「悪評の原因について考える」記事にコメントを寄せてくださった読者の方は「賢治の知人である女性は露さんだけとは限らないのでは」と仰っていました。全くその通りであり、更には高橋慶吾と共通の知人である女性・恋愛や結婚に関しての話をする女性も露さんだけとは限りません。
ですからこの下書き群を「露さん宛て」とするなら、上記のほかに理由といえる部分があるはずなのです。
しかし前項で書いた通り「宮沢賢治全集9 ー書簡」の「高瀬露宛て」ページの備考や解説には「この下書き群を露さん宛てとする根拠」の記述は一切見当たりませんでした。
どうも本当に上記「筆者のような浅学者が考えつく理由」だけでこの下書き群を「露さん宛てと断定」したようなのです。
「作家研究」のカテゴリーに入る書籍でこんな冗談みたいなことを本当にするとは思いませんでした。
「法華をご信仰なさうですが」→露さん?
手紙下書き252a系は「法華経を信仰している人物」に宛てて書いています。
高橋慶吾以外の悪評系はこの下書きを根拠に「露さんは賢治の気を引くために法華経への転向を仄めかしたが思う通りにいかず、そのことを恨みに思い賢治を中傷して歩くようになった」などと主張しています。
でも、何度でも言いますがこの下書きのどこに露さんの気配があるというのでしょうか?
下書きから分かることは以下の3点です。
- 宛先の人物は以前から賢治と面識がある
- 宛先の人物は「既に法華経を信仰している」(転向するのではない)
- 賢治は宛先の人物に割と好意的に接している
「法華経への転向をほのめかす」内容に対する返事なら「ご信仰を法華にお変えになるとのこと」などになるのではないでしょうか。
実際露さんは19歳から帰天までキリスト教への信仰を貫きました。遠野カトリック教会の台帳にも帰天日(1970年2月23日)が記されています。
社交辞令的な意味で「法華経にも興味があります」などと話したりしたのかもしれませんが、賢治もそんな言葉から「法華をご信仰」とまで考えないと思います。
下書き252a系は別の人物に宛てて書かれたものではないでしょうか。
個人的にこの下書きは高橋慶吾宛てなのではと思います。というのも「「悪評」の出どころについて考える」にて引用した高橋のプロフィールに「賢治の影響により仏教を信仰」とあるからです。
高橋が仏教を信仰し始めた時期やそれが法華経なのかは判りませんが、「賢治の影響」であるなら法華経を信仰するのが妥当かと思いました。
本当に「慮る」気があるのなら
この下書き群の解説には「相手の女性のイメージをも、これまでの風評伝説の類から救い出しているように思われる」との記述があります。
…本当にそう思うのでしょうか。何を根拠にそう思えるのでしょうか。
この下書き群で露さんのイメージは救われるどころか、イメージ悪化の材料になっているとしか思えません。
この下書き群の公表が1977(昭和52)年の「校本宮澤賢治全集」出版まで控えられていた(表向きの)理由は「露さんの私的事情を慮って」のことだったそうですが、「本当のところは露さんにあれこれ言わせないために彼女の逝去を待ってただけなんじゃないの」と邪推してしまいます。
身に覚えのない悪評にほとんど弁解をしなかったという露さんも、この下書き群が身に覚えのないものでありそれに自分の名前を付けられるとなればさすがに苦情を言ってくるでしょうから。
本当のところ「慮る」気など全く無かったのではないでしょうか。本当に露さんの私的事情を慮る気があるのであれば、この下書き群を公表しないままにしておくはずです。この下書き群を「誰に宛てたのか根拠すら見当たらない書簡」として公表したとしても「既に露さんに対して先入観を抱いている」人々が色々と勘ぐったり、賢治研究と関した書籍に「勘ぐり」を断定調で書き立てたりすることは簡単に想定できますから。
gooブログ版では「この下書きを「高瀬露宛て」と断定したのは上記理由のみなのか、それとも他に「高瀬露宛て」とできる決め手となった理由があったのか、そういったことを今からでもきちんと公表して頂きたいと思います」と述べましたが、それから約16年経過した現在、校本全集に関わった方々のうちご健在な方は何人いらっしゃるのか分かりません。
gooブログ版で述べた望みはもう叶わないのかもしれません。
それならばこうして「この下書き群が本当に露さん宛てと言えるのか? その根拠は?」という疑問をインターネットの片隅に置き、偶然目にしてくださった方々の心の隅に留まるようにしておこうと思います。