儀府文献が描く女性「内村康江」(2)

儀府文献「やさしい悪魔」よりもうひとつ取り上げていきたいと思います。

宮沢賢治が「自分との結婚の準備を進め始めた」内村康江を避ける行動を取るようになったという場面の後に続く文章を引用します。

前後の状況ははっきりしないが、あるとき賢治は、内村康江に蒲団を贈った。なにかの返礼としてであった。(中略)蒲団というからには、座蒲団でもなければ、ネグリジェとかパジャマのようなものではなくて、やっぱりきちんとした、それも若い未婚の婦人用の美しい蒲団だったにちがいない。その前に相手から何を贈られ、どんな状況でのそれは返礼だったのかも不明だ。だが贈り主は、選ばれた、かくれもない立派な独身の男性だった。それを受ける女性も、まだうら若い未婚の女性だった。しかも彼女の胸には、すでにその人への愛が芽ばえていて、恋愛から結婚への過程をたどっていた。 折もおり、その人から、如何にもやさしい心がいっぱいこもっていそうな、ふわりとした、上品な趣味を思わせる優雅な蒲団が届けられたのだ。

儀府成一「宮沢賢治 ●その愛と性」 芸術生活社 1972(昭和47)年
知りたい人
知りたい人

賢治が内村康江に贈ったっていう蒲団のこと、随分決めつけて書いてるねぇ。「若い未婚の婦人用の美しい蒲団だったにちがいない」って…。文章が進むと「やさしい心がいっぱいこもっていそうな、ふわりとした、上品な趣味を思わせる優雅な蒲団」と具体的になってるし。

そして「蒲団を受け取った内村康江の反応」が更に畳み掛けてきます。

内村康江の胸はとどろき揺れ、夢に夢みるここちになった。胸のところに組んだ手を押し当てて、「もう決ったわ」と彼女は叫んだ。叫びながら今までの迷いを一擲して、宮沢賢治との結婚を敢然と決意した。いや、かっきりと決意をあらたにしたのは、このときだったと思われる。

儀府成一「宮沢賢治 ●その愛と性」 芸術生活社 1972(昭和47)年
知りたい人
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いやあ…すごい臨場感だね。「パァァ…」という効果音の書き文字とピンク系のキラキラエフェクトをバックに満面の笑みを浮かべる内村康江の姿が、1970年代の少女マンガ調の絵で頭の中に浮かんできてしまったよ。

このあと続くのがこの文章です。

しかし、それとは気のつかない賢治であった。私はこのときの賢治ぐらい、間のぬけた、こっけいな賢治をみたことがない。そしてそれ以上に、痛々しい賢治も。

儀府成一「宮沢賢治 ●その愛と性」 芸術生活社 1972(昭和47)年
知りたい人
知りたい人

私はこのときの賢治ぐらい、間のぬけた、こっけいな賢治をみたことがない」だって…? 私と管理人はここで引用した部分まとめて儀府に問いたい。

「いや、実際に見たんですか? 賢治が贈った蒲団も浮かれた様子の内村康江も何も気づいてない様子の賢治も、その目で見たんですか? それとも本人たちに聞いたんですか?」

「その場にいて実際に見た・本人たちに聞いたとは書いていない」と返されるかもしれないし、そう言われればその通りです。しかし、大半の人はこの文を一読したら「儀府は一連の様子を実際に見ていた・本人たちに一連の話を聞いたんだ」と思ってしまうはずです。

知りたい人
知りたい人

儀府は賢治が宮沢家別宅で独居自炊の生活を送っていた時期には面識どころか手紙のやりとりすらしていない状態で、この騒動にも立ち会っていない内村康江のモデルである高瀬露さんにも会ったことがない」という事実を知っていなければ、まんまとダマ…じゃない、信じ込んでしまうよね。┐(´д`)┌

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