儀府文献「開いた口が塞がらない」

当記事では儀府文献「やさしい悪魔」のまとめの一節から気になるところ・思うところを述べていきたいと思います。

儀府は「やさしい悪魔」のまとめとして以下のように書いています。

ここで結論的にいいそえたいことが私に二つある。一つは、賢治が内村康江をそう思ったり呼んだりしたのはいいとして、われわれまでそれに做って、 この人のことを悪魔のように見たり云ったりするのはやめたい、ということだ。突然こんな風に書くと、一般の読者は「何を書いているのだろう」と思ったり、「その女の人は、そんな風に見られたり、書かれたりしている人なのか」と、疑問を抱かれると思う。これは、この人のことは誰もほとんど語らず、書かなかったこと——万一書いても、ほんの何行かでサラリと片づけていたことから生じる疑問にすぎない。理由は、彼女が平凡な家庭の主婦(それは大へん倖せなことなのだが)で、別に知名度の高い人でもなかったのと、何より、宮沢家に対する遠慮からだったと思われる。 むろん宮沢家としても、内村家としても、二人のことはあまりふれたくない、ふれてもらいたくない事柄かもしれない。その気持はわかるけれど、これ以上いつまでもウヤムヤにしておかないで、この辺で事件の真相とまではいかなくても、ある程度まともな、公平な、と思われる一応の見方だけでもしておくべきだと思って、私は貧しい自分の仕事のなかに、この「やさしい悪魔」の章を加えることにしたのである。

(中略)

とにかく内村康江は、宮沢賢治に求愛し、求婚した、最初の女性であったという事実、同時に、この人ほど熱烈に賢治に想いを寄せ、その懐にまっしぐらにとび込もうとした人はいなかった、という点で、その名を何かに録しておきたい人だと思うのだ。凶作、冷害、不作がくり返される東北の暗鬱な自然と、どこに明るさをもとめたらよいのか分からない 不況下の農村を背景に、田園にユートピアの建設をゆめみ、独居してみずからも鍬をふっている宮沢賢治に、人間の理想像をみたとばかり、ピタリと照準をあてたイーハトーヴォの一人の若い女性に、私はとにかく拍手をおくりたい。

儀府成一「宮沢賢治 ●その愛と性」 芸術生活社 1972(昭和47)年
知りたい人
知りたい人

悪魔のように見たり云ったりするのはやめたい」?「ある程度まともな、公平な、と思われる一応の見方」?「拍手をおくりたい」?
…はぁ? いったい何言ってんの?(# ゚Д゚)

この人のことを悪魔のように見たり云ったりするのはやめたい」と思い「ある程度まともな、公平な、と思われる一応の見方だけでもしておく」ために書いた文章は、これまで伝えられてきたこと・主に森荘已池の文献を大きくふやかし、派手な装飾を盛り付けたものです。

その結果「この人」=内村康江=高瀬露さんについたイメージはさらに悪化し、後年の映画などで描かれる露さんのキャラクターはこの内容にさらに装飾を施されてしまいました。

知りたい人
知りたい人

この文章を読んだ人の何人が「内村康江は悪魔みたいな人ではないんだ、じゃあ彼女をそんな風に言うのはやめよう」と思えたんだろう。むしろ逆じゃない?「悪魔でなくても、思い込んだら話が通じなくなり行動も選ばなくなる危ない人であることは確かだ」と感じた人が多いと思う。

儀府は本気でこの文章が「ある程度まともな、公平な、と思われる一応の見方」になっていて、内村康江=露さんを「悪魔のように見たり云ったりする」ことを止められるとでも思っていたのでしょうか。

それはご本人にしか分からないことですが、とにかく私がこの文章に対して抱く感想は「空々しさとずるさにまみれていて開いた口が塞がらない」しかありません。

知りたい人
知りたい人

私も同じく、です。最後の「とにかく拍手をおくりたい」という言葉には儀府の空々しさとずるさがぎっちり詰め込まれていると感じます。私と管理人は儀府にこんな言葉をお送りしたいです。

「内村康江のことを好き放題に書いておいて、よくそんな格好つけたことが言えますね」

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