儀府成一という人物とは

当記事より「悪評系2大文献」のもうひとりである儀府成一の文献を取り上げていきたいと思います。

取り上げていくのは次の2点です。「やさしい悪魔」「火の島の組詩

どちらも1972(昭和47)年・芸術生活社出版の「宮沢賢治 ●その愛と性」という書籍に収録されています。

やさしい悪魔」は約43ページにわたって「宮沢家別宅で独居自炊の生活を送る宮沢賢治と彼の前に現れた高瀬露さん」のエピソードを書いています。当文献では露さんに「内村康江」という仮名を付けているため、儀府文献関連の記事では基本的にこの仮名を使います。

火の島の組詩」は約3ページ、賢治がCという女性とお見合いをしたと聞いた「聖女のさました」女性がどういう行動に出たかという話になっています。

儀府文献は読み応えがあります。しかし「作家研究のための文献」という面において、森荘已池文献より「意見」するところが沢山あると感じます。

知りたい人
知りたい人

ごめん、ちょっと待って。儀府文献を取り上げる前に…。私、儀府成一という人のこと、名前くらいしか知らないんだよね。彼がどういう人物なのか、賢治とどう関わりがあったのかをちょっと調べたいと思うの。

儀府成一は1909(明治42)年岩手県生まれ・2001(平成13)年没、「母木光」「月丘きみ夫」などの名義もある、芥川賞候補に2回選出された作家です。賢治とは1930(昭和5)年から文通にて交流を始め、賢治に実際に会ったのは1932(昭和7)年とのこと。

知りたい人
知りたい人

1932年といったら賢治にとっては最晩年だね。つまり儀府は「賢治の生涯終わりかけの時期の知人」であって、羅須地人協会活動中の1926(大正15)年〜1928(昭和3)年には賢治と連絡すら取っていなかったってことか。

作家としては小説・童話などいくつかの著書、1940(昭和15)年の第12回・1944(昭和19)年の第19回の2回、芥川賞候補に選ばれるという実績があります。第12回は最終候補まで進み、第19回は残念ながら予選落ちに終わりました。

知りたい人
知りたい人

実力はあったけど開花できなかった作家のひとりってことなのね。…童話も著してるのか。「悪評系2大文献の人物」であることは脇において機会があったら読んでみたいね。

儀府の経歴は、ウェブサイト「芥川賞のすべて・のようなもの」様の「儀府成一」ページを参照させて頂きました。このページには受賞作品・受賞候補作品のデータや選評が掲載されています。その中で第12回芥川賞候補選出作品「動物園」の選評に「読みごたえがあったが、ちと読みごたえがあり過ぎた」というものがあります。

私が最初に「やさしい悪魔」「火の島の組詩」を読んだ後即座に抱いた感想もこの選評とほとんど同じもので、「読みごたえがあり過ぎ」る内容に胸焼けのような感覚を抱きました。ただ、そのうちの何割かは「悪評系に対する嫌悪感」という完全な個人的感覚だったかもしれません。

知りたい人
知りたい人

「読みごたえがあり過ぎ」って、平たく言えば「くどい」ってことなのかしら。それにしても「動物園」に対する選評、辛辣なものが多いね…。

なお、上田哲さんは「「宮澤賢治伝」の再検証(二)ー<悪女>にされた高瀬露ー」で儀府や彼の文献に対して以下のように厳しく断じています。

これは想像というより下劣な儀府の心情にすぎない。このような本が研究書とよばれまかり通り研究文献目録に搭載されている。日本の文学研究のレベルの低さが悲しくなった。

(中略)

儀府氏は、作家である。作家ならもう少しリアリティと説得性のあるフィクションを書いたらよかった。

上田哲「宮澤賢治伝」の再検証(二)ー<悪女>にされた高瀬露」 1996(平成8)年

上田さんの儀府に対する感情がストレートに伝わってきます。

知りたい人
知りたい人

特に「作家なら…」のあたりが鳩尾にストレートを決めるがごとくの鋭さだね…。

その他・全般(歴史)ランキング にほんブログ村 歴史ブログ 偉人・歴史上の人物へ
タイトルとURLをコピーしました