「頻繁な訪問は可能か」を考えてみる(1)

羅須地人協会活動期間内、高瀬露さんは下根子桜の宮沢賢治の住まい(羅須地人協会)から北西7〜8キロ離れた場所にある小学校に勤めていることが分かりました。

そういう状態で「賢治が辟易するほどの頻繁な訪問」が可能なのかどうかを考えていきたいと思います。

知りたい人
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森荘已池は露さんのことを「花巻の西方の村で小学校の教員をしている女の人」と記しているけど、これだと露さんは西方の村である湯口村に住んでいるのか別の町や村から通っているのか分からないね。

露さんの住まいがどこであれ「1日に2回も3回も」やってくるなら、そのうち1回の行動の起点は勤務校ということになります。

露さんの勤務校である宝閑尋常小学校(当時の所在地の推定地点)から下根子桜の羅須地人協会(現在の「雨ニモマケズ」詩碑)まで徒歩で向かうとどのくらい時間がかかるのでしょうか。Googleマップでルート検索した結果を以下に貼付します。

知りたい人
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「うん知ってた」って感じの結果だね。1926年〜1927年当時なら道の状態も歩きやすいものではなかっただろうし、現在ほど道の数も多くなかっただろうから、さらに時間がかかってたんじゃないかな。大体2時間と考えておこうか。

片道の所要時間2時間・お昼休みを利用しての訪問・お昼休み開始12時00分・羅須地人協会で過ごす時間1時間と仮定すると、以下のようになります。

学校出発12時00分→羅須地人協会到着14時00分→羅須地人協会出発15時00分→学校到着17時00分
知りたい人
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これじゃ午後の授業を丸々放棄してしまうことになっちゃうよ。そういえば前記事で「「花巻電鉄」という鉄道があったという旧ブログへのコメント」を紹介したよね。花巻電鉄を使うとある程度時間短縮できたのかな?

頂いたコメントによると、羅須地人協会の最寄り駅は「西公園」、宝閑尋常小学校の最寄り駅は「一本杉」、どちらも徒歩20分ほどとのことでした。

古地図とGoogleマップを使って両駅の推定所在地から羅須地人協会・宝閑尋常小学校との距離・徒歩での所要時間を検索すると以下のようになりました。

羅須地人協会↔西公園駅:約2.5キロ・所要時間約35分
宝閑尋常小学校↔一本杉駅:約3.5キロ・所要時間約50分

当時の道の数・両駅間の所要時間・電車の運行間隔も加えて考えると「徒歩より若干時間が短縮される程度」と予想されます。

知りたい人
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古地図を参照した際に、一本杉駅から西方向1駅先にある「二ツ堰」という駅のほうが当時の宝閑尋常小学校所在地に近いらしいことに気づきましたが、当記事では頂いたコメントに従って記述させて頂きます。

Wikipediaの花巻電鉄ページによると、露さんが利用したであろう路線は「軌道線」といい、1934(昭和9)年12月当時当該路線の1日の運行本数は6往復半・全線の所要時間は1時間34分〜1時間36分・駅数21とのことです。

露さんが賢治・羅須地人協会に関わっていた1926(大正15)年〜1927(昭和2)年も運行本数・所要時間・駅数は変わりないと仮定して上記データをもとに所要時間を計算します。

軌道線1駅間の所要時間をざっくり計算すると約4〜5分、西公園駅から一本杉駅までの所要時間は約24〜30分になります。これに羅須地人協会から駅・駅から学校までの移動1時間25分を加えると、片道の所要時間は1時間49分〜1時間55分ほど。

知りたい人
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5〜11分の短縮か。大した短縮にはなってないな…。

以下にお昼休みを利用しての訪問・お昼休み開始12時00分・一本杉〜西公園間の所要時間30分・羅須地人協会で過ごす時間1時間・各駅にてすぐに電車に乗れたと仮定した時間の流れを記載します。

学校出発12時00分→一本杉駅到着・電鉄乗車12時50分→西公園駅到着13時20分→羅須地人協会到着13時55分→羅須地人協会出発14時55分→西公園駅到着・電鉄乗車15時30分→一本杉駅到着16時00分→学校到着16時50分
知りたい人
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全て徒歩と大して変わらないね。大体花巻電鉄は1日6往復半程度の運行だからそんな都合よく乗れたりしないでしょ。だから全て徒歩より時間がかかると思うよ。

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