当ブログのメインテーマは「宮沢賢治にほんの一時期関わった女性・高瀬露さんに着せられた濡れ衣」。
私がそれを知ったきっかけと、露さんの悪評に対して違和感を抱くようになった経緯を述べていきたいと思います。
「宮沢賢治に追っかけがいた!?」
…という話を知ったのは小学六年生の時でした。
当時は日本史に熱中していて、学校の図書室や祖父の書棚にある関連書籍を手当たり次第に読んでいました。
ある日学校で出会ったのが「学習まんが物語 人物日本の歴史」(国際情報社)という書籍。
90ページ弱程度の本3冊組みで1巻という形で、全15巻+別巻。
基本的に1冊ひとりという形式の学習漫画です。
(画像は後年ヤフオクで入手したもので、欠番があります)
興味を引かれないはずはなく、片っ端から借りて読み倒していました。
やがて手を伸ばすことになったのは15巻、収録されている人物は原敬・宮沢賢治・吉田茂。
こちらが「宮沢賢治」の表紙。壮大な雰囲気です。
内容はなかなかドラマチックに描かれている(特に妹・トシとの別れのシーン)ので、単純な子供だった私はあっさりと「賢治は崇高な人物」と思い込んだのでした。
さてこの書籍、巻末に各人物に関する豆知識が4つ、カットつきで掲載されています。
賢治に関する豆知識として掲載されていた話題の一つがこれでした。
「農民に自分をささげた賢治は女性の愛を受け入れなかった」
…というタイトルで、筆者の小学生時代当時の言葉でいうところの「追っかけギャル」みたいな女性がいたという内容です。
これが当ブログのメインテーマとの出会いでした。
当時は「まあ立派な人だから、追っかけみたいな女の人がいても不思議じゃないよね」程度にしか考えませんでした。
(それにしてもカットの女性、少年向けギャグ漫画に登場するお騒がせウーマン像そのものって感じですね)
「彼女の本名」を知り、悪評を少し信じた数ヶ月
それから時を経た2003(平成15)年春、私の中で「宮沢賢治ブーム」が巻き起こりました。
きっかけは当時プレイしていたあるゲームの場面が「賢治の童話っぽい」と感じたことで、賢治の詩や童話をじっくり読んでみようという気が起こったのです。
様々な作品を読んでいるうちに賢治という人物そのものにも強い興味を抱くようになり、児童向けの伝記本から作家評論本まで、賢治の名が付いていれば何でも手に取っていました(上記の学習漫画をヤフオクで購入したのもこの頃です)。
それらを通じて「お騒がせな女性教師」の話に再会し、その女性が「仮名:内村康江・本名:高瀬露」ということを知りました。
小学生時代に知ったエピソードに付け加えて、
「勝手に作ったライスカレーを食べてもらえず、ふてくされてオルガンを乱暴に鳴らし賢治を困らせた」
「思いが叶わないと掌を返し、賢治を中傷して歩くようになった」
などという話を知ることになりました。
当初は情けないことにこの話を少し信じてしまい「問題のある女性なんだな」とまで感じてしまいました。
しかしこれらのエピソードを読み返しているうちに、だんだん賢治の態度に首をかしげるようになったのです。
迷惑に感じるのであれば、その時点でそう伝えれば良かったんじゃないの?
何も言わないままいきなり居留守を使ったり顔に炭をつけたり押し入れに隠れるなんて、ちょっと大人げないんじゃない?
悪評を信じたままながら、内村康江=高瀬露という女性に同じ女性として気の毒だという感情を抱き始めました。
そして次第に「一日に数回も押しかけてくる」点に違和感を覚えるようになったのです。
学校の先生として働いてるのにそんなこと出来るの?
当時の学校の先生って、そんなに時間が有り余ってたの?
やがて心の隅でこんなことを考えるようになりました。
もしかしたら伝えられていることの大半は大げさに作ったもので、実際はここまでみっともない人みたいに伝えられる筋合いのないレベルのことなのかも…?
それから数ヶ月後、その考えは正しかったらしいことに気づかされます。
そのきっかけは、書店で何気なく手に取り購入した一冊の本「図説 宮沢賢治」(河出書房新社)でした。