「中傷行為」伝説について考える

宮沢賢治と高瀬露さんのエピソードのひとつ「思いが叶わなかったことを恨みに思った露さんは後年賢治を中傷して歩き回った」というもの。

本記事よりその「通説」について意見・感想を述べていきたいと思います。

悪評系が伝える「その行為」

まずは当通説に関する記述を悪評系文献から引用します。

(略)
第三は亡くなられる一年位前、病氣がひとまづ良くなつて居られた頃、私の家を尋ねて來られました。それは賢治の知合の女の人が、賢治を中傷的に言ふのでそのことについて賢治は私に一應の了解を求めに來たのでした。

関登久也「宮沢賢治素描」>159〜160ページ「面影」 真日本社 1947(昭和22)年

賢治を慕う女の人がありました。勿論賢治はその人をどうしやうとも考へませんでした。その女の人が賢治を慕ふのあまり、毎日何かを持つて訪ねました。
(中略)
そしてそのたびに何かを返禮してた樣です。そこで手元にあるものは何品にかまはず返禮したのですが、その中には本などは勿論、布團の樣なものもあつたさうです。女の人が布團を貰つてから益々賢治思慕の念をつよめたといふ話もあります。
後で賢治は其の事のために多少中傷されました

関登久也「宮沢賢治素描」>205ページ「返禮」 真日本社 1947(昭和22)年

(略)
宮沢賢治を、じぶんの愛情のとりこにしようとして、ついに果たさなかった女人は、いろいろ賢治について悪口をいってまわったものらしかった。そのことについて、とても肚ににすえかねることがあって関登久也を訪ねて、何かいいたくてやってきたのである。というのはその女人は関登久也夫人とは女学校で同級生であったというような関係もあった。

森荘已池「宮沢賢治と三人の女性」1949(昭和24)年

聖女のさました人(引用者注・内村康江>高瀬露さん)は逆だったらしい。相手のCは、自分のように働いて食べるのが精いっぱいだという職業婦人ではなくて、名も富も兼ねそなえた恵まれた美しい女性であるということがシャクだった。それにもまして、賢治がCに奔ったのは、どっちがトクかを秤にかけて、打算からやったことだと邪推し、恋に破れた逆恨みから、あることないこと賢治の悪口をいいふらして歩くという、最悪の状態に陥ったのだと考えられる。

儀府成一「宮沢賢治 ●その愛と性」>「火の島の組詩」 芸術生活社 1972(昭和47)年

「女の人=露さんが賢治を中傷した」という話の出所は関登久也(関徳弥)1の文献であるようです。森文献・儀府文献は関文献を元に自身の想像を混ぜて記述したといった感じです。

「自分の思いを受け止めてくれなかった」ことは中傷行為の動機としては自然なことですが、儀府文献はCという女性を勝手に巻き込んでしまっています。

関徳弥は「賢治を慕っていた女の人」が吹聴する「賢治の中傷」に実際接したともとれるような記述をしていますが…。

上田哲さんの指摘

「中傷行為」伝説に対して、上田哲さんは以下のように指摘しています。

関登久也は「賢治素描(五)」(『イーハトーヴォ』第十号)の中で、賢治が<亡くなられる一年位前>訪ねて来て、<賢治氏知人の女の人が賢治氏を中傷的に言ふので><賢治氏は私に一応の了解を求めに来た>と述べている。
賢治が関を訪問、<知人の女の人>が賢治の中傷をしていることについて誤解されないよう了解を求めたことを否定しないが、賢治は、その女が中傷している現場を見聞したのではなく、賢治を中傷している女がいるという人の話を、信じただけのことである。
関は、あからさまに高瀬露とはいっていないが、多くの人はそう受けとめている。しかし、当時の彼女は、賢治の中傷をして歩くために花巻まで出かけられるような状況ではなかった。彼女のいた上郷村は、遠野から村二つ隔てた東方八キロの地点にあり、遠野駅までの通常の交通手段は徒歩であった。花巻までは、当時は二時間近くかかった。本数ももちろん少なかった。朝出ても、ちょっと用事が手間どると泊まらなければならなかったと聞いている。また、そのころ長女を懐妊していて、産休はなく、年休のかわりに賜暇はあったが、文字どおり賜るもので、休みをいただくのは容易ではなかった。こんな状況なので体をいたわり遠出をさけていたという。そして新婚早々の生活に満足していたのである。

上田哲「図説 宮沢賢治」>94ページ「賢治をめぐる女性たちー高瀬露を中心に」 河出書房新社 1996(平成8)年

中傷行為の発生は「賢治が亡くなる1年位前」=1932(昭和7)年秋頃のこととして、露さんが中傷行為をしていた可能性はほぼゼロ・それ以前に中傷行為をしている「女性」がいるというのも曖昧なものであると述べています。

各文献から浮かんでくる疑問点

悪評系・上田さんの文献双方を読んでいるといくつか疑問が浮かんできます。

  • 中傷行為はいつ起こったことなのか
  • 具体的にどんなことを言ったのか
  • 関徳弥以外に「中傷」を聞いた人物はいるのか

ざっくりあげるとこんな感じです。実は各疑問からまた新しい疑問がいくつか浮かんできてしまうのですが…。

ともあれ、次の記事より上から順番に考えていきたいと思います。

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  1. 当ブログでの関氏のお名前表記は「関徳弥」で統一いたします。 ↩︎
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