当記事より「ライスカレー事件」を伝える文献に対して浮かんできた数点の疑問について述べたいと思います。
旧ブログでのライスカレー事件関連記事では「この出来事はいつ起こったのか」という疑問から考えていましたが、当ブログではそれは後回しとし、先に以下の疑問について書いていきます。
- 宮沢賢治は早朝からライスカレーが運ばれてくるお昼まで別宅内をウロウロしていたはずの高瀬露さんをどうして放っておいたのだろう?
- 以前から疎ましく思っていた人の料理を拒絶するのに「食べる資格はない」という言葉はおかしくないか?
- そもそも露さんは「この日集まりがある」という情報をどこで誰から得たのだろう?
なぜ「彼女の存在」を放っておいたの?
「ライスカレー事件」当日、露さんはいつ賢治宅を訪れたのでしょうか。悪評系2大文献より該当部分を引用します。
花巻の近郊の村のひとたちが、数人で下根子に訪ねてきたことがあった。彼はそのひとたちと一緒に、二階にいたが、女人は下の台所で何かコトコトやっていた。村のひとたちは、彼女のいることについてどう考えているかと彼は心を痛めた。
森荘已池「宮沢賢治と三人の女性」 1949(昭和24)年
その日、羅須地人協会には客があった。近くの村の人たちで、四、五人連れ立って訪ねて来て、二階で賢治をかこみ、いろいろと農事について相談をし、適切なアドバイスをうけていた。(略)しかし内村康江の来訪は、この人たちよりもっと早かった。彼女はいつものように階下にいて、玄関から居間、オルガンのある部屋、お勝手、階段まで掃除をし、あと片づけがすむと台所に入って、時間をかけて何かひそかにやっていた。
儀府成一「宮沢賢治 ●その愛と性」 芸術生活社 1972(昭和47)年
儀府文献では「早くにやってきて掃除をする」ところから始まっており、森文献では既に台所に入り炊事をしているところから始まっています。
儀府文献の時系列は明記されていませんが、内村康江(露さん)来訪、1階の掃除を済ませ台所に入り炊事を始める→村の人々来訪、2階に通されるといったところでしょうか。
賢治が露さんの存在に気づいているかは、森文献では「彼女の存在を来客がどう受け止めるか」を気にしている=既に気づいている様子であり、儀府文献では引用部分には描かれていませんが、この後彼女がライスカレーを2階に運んでくる場面では彼女の姿に驚くことはなくただ気まずそうにしている様子なので、やはり既に気づいていると見て良いでしょう。
ここで疑問が浮かんできます。
「なぜ賢治は彼女を追い返さなかったのか?」
まだ誰も来ていないうちに露さんを追い返しておけば気まずい思いをせずに済むはずなのに、なぜかそれをしていないのです。
露さんはこそこそ動いていて、賢治は彼女の存在に気づけなかったんじゃない?
気づいた時にはカレーやお米の仕込みが終わってて追い返すにも追い返せない状態になってたとか…
掃除って、どれだけ注意してもある程度の物音が立ってしまうものではないでしょうか。逆に言えば物音を立てずに掃除をするなど不可能です。
また宮沢家別宅はそんなに広い建物ではないといえ、1階部分全てを一人で掃除となれば結構な時間を要するはずです。掃除と一口にいってもハタキがけ・ホウキがけ・窓拭き・雑巾掛けといった作業があるのですからね。
そして賢治が2階にいたとして、来客の時間まで全く1階に降りないなんてことはありえないと思います。その間のお手洗い、そして朝食はどうするのでしょう。
こんなふうに賢治が露さんの存在に気づく機会はいくらでもあり、彼女がこの場にいることを良く思わないのであれば帰るよう告げることができるはずです。
うーん、じゃあ…
賢治はもう露さんに対して半分諦めの気持ちを抱いていて「好きなだけやらせておけばいずれ帰るだろう」と思っていたとか…
この日が「来客なし」であればそういう対応もできるかもしれませんが、このままでは気まずい思いをすることが分かっている状態を放っておくというのもおかしな話ですよね。「今日だけは勘弁してほしい」と言うことぐらいできるはずです。
「食べる資格はない」ってどういう意味?
森・儀府両文献とも賢治は配られたライスカレーをこの言葉で拒んでいます。
「私にはかまわないでください。私には食べる資格がありません」
人々の面前で、公開処刑のように言葉を放ったことは取り敢えず置いておいて…。
「食べる資格がない」というのは一体どういう意味なのでしょう?
「露さんの思いを受け入れられない自分には彼女の手料理を食べる資格がない」ということなんじゃない?
それでは、ライスカレーが運ばれてきた時の賢治の心情はどんなものだと思いますか?
露さんの好意の押し付けが度重なった上に今回は来客を巻き込んでの好意の押し付け、もういよいよ我慢ならない状態…敵意すら抱いているといった感じかな?
そんな気持ちを抱きながら放つ言葉として「(露さんの思いを受け入れられない自分には彼女の手料理を)食べる資格はない」は不自然だと感じます。
これではまるで「露さんに対して申し訳ない思いを抱いている」ように見えてしまいませんでしょうか。
露さんの好意の押し付けに我慢ならなくなりキッパリ拒絶してやろうと意図したのであれば「勝手なことをしないでください、私は絶対食べません」という言葉のほうが自然です。
なお、儀府成一もこの言葉に違和感を覚えているようで、それを内村康江(露さん)の心の声として以下のように表現しています。
わからないのはあのことばだ。「私には食べる資格はない」といったあの返事だ。いったい「食べる資格がない」とは、どういうことなのか。何を意味するのか、何を汲みとればいいというのか。食べる資格がない——私には食べる資格などありません……なぜ? どうして? ……
儀府成一「宮沢賢治 ●その愛と性」 芸術生活社 1972(昭和47)年
彼女はどうやって情報を得たの?
森文献・儀府文献とも露さんはサプライズプレゼントのようにライスカレーを賢治や客に出していますが…
「露さんは、この日来客があるという情報をどうやって得たのだろう?」
情報も何も、いつものようにアポ無しで賢治宅に来たらお客さんがいるor来ることを知り「賢治の妻的存在」であることをアピールしてやろうと思いついてライスカレーを作り始めた…ということなんじゃないの?
来客にライスカレーを出すためには、
- 調理器具、人数分より少し余る程度の材料(お米・カレー粉・人参・じゃが芋・玉葱など)や食器の準備
- 調理(火起こし・お米を炊く・野菜を洗って一口大に切る→鍋で野菜を炒める→鍋に水を入れて野菜を煮込む→カレー粉で味をつける)と盛り付けの時間
が必要となります。
加えて当時は1920年代、電気炊飯器はもちろんシステムキッチンやガスコンロなども普及していませんから、調理時間は現在カレーライスを作る平均時間(約40分〜60分)よりさらにかかることでしょう。
つまり、数日前から「この日にn人の来客があり、お昼過ぎまで滞在する」という情報が分かっていないと「ちょうどお昼時に人数分のライスカレーを出す」ことはできないというわけです。
この頃(通説では)協会員にも賢治にも疎まれてきていたはずの露さんが、どうやってその情報を得たというのでしょうか。
①協会員の誰かが伝えた?
賢治が露さんの来訪や好意の押し付けに困っているのを知っていて心情的に賢治の味方になっているはずの彼らが、賢治に精神的負担をかけるようなことをわざわざするとは思えません。
②賢治を訪ねた農民の誰かが伝えた?
彼らはライスカレーを運んできた露さんに驚き、彼女が何者であるか分からない様子を見せているので可能性は低いでしょう。
③宮沢家別宅内に掲げられていた「来客予定」を目にした?
可能性が高いのはこれかもしれません。賢治が来客予定をメモし、それを目につきやすい場所に掲げる習慣があったのかどうかは分かりませんが…。
ただ、それが原因で露さんが「勝手な行動」を起こしたとしても、責任は「差し出たことをしかねない人が出入りしている状態で知られたくない情報をオープンな場所に掲げる」という不用心な行動をした賢治にあるということになります。
④実は賢治が露さんに「この日集まりがあるからn人分のライスカレーを作って欲しい」と伝えていた?
「そんなまさか」と思ってしまいますが、案外こちらの方が③よりも自然です。そしてこちらが真実だったのではという気もします。
「それならなぜ賢治はカレーを食べるのを拒んだのか」を考えると「賢治は結構大人げない人だった・賢治が露さんを振り回していた」という結論になってしまうのですが…。