当記事より宮沢賢治と高瀬露さんの間に起こった出来事のうち、主に悪評系文献によって「一大事件」のように描かれている「ライスカレー事件」に関して意見や感想を述べていきたいと思います。
「ライスカレー事件」とはどんな出来事か
「ライスカレー事件」という出来事を自著で取り上げ具体的に記述しているのは森荘已池・儀府成一のお二人です。該当部分を以下に引用します。
花巻の近郊の村のひとたちが、数人で下根子に訪ねてきたことがあった。彼はそのひとたちと一緒に、二階にいたが、女人は下の台所で何かコトコトやっていた。村のひとたちは、彼女のいることについてどう考えているかと彼は心を痛めた。
森荘已池「宮沢賢治と三人の女性」1949(昭和24)年
(略)みんなで二階で談笑していると、彼女は手料理のカレー・ライスを運びはじめた。彼はしんじつ困ってしまったのだ。彼女を「新しくきた嫁御」と、ひとびとが受取れば受取れるのであった。彼はたまらなくなって、「この方は、××村の小学校の先生です。」と、みんなに紹介した。ひとびとはぎこちなく息をのんで、カレーライスに目を落したり、彼と彼女とを見たりした。ひとびとが食べはじめた。——だが彼自身は、それを食べようともしなかった。 彼女が是非おあがり下さいと、たってすすめた。——すると彼は、「私には、かまわないで下さい。私には、食べる資格はありません。」
と答えた。
悲哀と失望と傷心とが、彼女の口をゆがませ頬をひきつらし、目にまたたきも与えなかった。彼女は次第にふるえ出し、真赤な顔が蒼白になると、ふいと飛び降りるように階下に降りていった。降りていったと思う隙もなく、オルガンの音がきこえてきた。(略)顔いろをかえ、ぎゅっと鋭い目付をして、彼は階下に降りて行った。ひとびとは、お互いにさぐるように顔を見合わせた。
「みんなひるまは働いているのですから、オルガンは遠慮して下さい。やめて下さい。」
彼はオルガンの音に消されないように、声を高くして言った。——が彼女は、止めようともしなかった。
その日、羅須地人協会には客があった。近くの村の人たちで、四、五人連れ立って訪ねて来て、二階で賢治をかこみ、いろいろと農事について相談をし、適切なアドバイスをうけていた。(略)しかし内村康江の来訪は、この人たちよりもっと早かった。彼女はいつものように階下にいて、玄関から居間、オルガンのある部屋、お勝手、階段まで掃除をし、あと片づけがすむと台所に入って、時間をかけて何かひそかにやっていた。
儀府成一「宮沢賢治 ●その愛と性」 芸術生活社 1972(昭和47)年
(略)
正午すぎ、彼女は二階に、食事を持ってあがってきた。みると、何度かにわけて、こっそりとそこまで運んだのであろうが、人数分のカレーライスであった。容器は揃いではなかったが、人数分キチンとあった。村の人たちは恐縮して腰を浮かしたが、それはカレーライスの接待のためというより、 女がいないはずのこの協会で、どういう人か素性の分からない女の人が、いきなり姿をあらわしたためのようであった。宮沢先生が、嫁をもらったという話はきいたことがないし、さらばといって感じからいって、妹さんでも、親戚の娘というのでもなさそうだ。
(略)
賢治は立ちあがって、村の人たちに「この人は××村の学校の先生です」と紹介した。彼女は(略)来客たちに、一枚々々、カレーライスの皿を渡した。水を入れたコップも運ばれ、みんなは食べ始めた。しかしこの家の主人である賢治は、どうしたことか食べようとはしないのだった。内村康江は寄り添うようにして、「先生も、どうぞ召し上がってください」とすすめた。(略)彼女が二度、同じことばを繰り返したとき、賢治は声をころして—— しかし、ここからは、もう一歩もゆずれないといった劃然とした態度で、こたえた。
「私にはかまわないでください。私には食べる資格などありません」
(略)
ついに絶望が彼女を引き裂くときがきたのだ。(略)これですべてが終わったのだと、 意識のどこかで誰かが喚きちらしているような気がする。 彼女はその微かな喚き声にすがりつく思いで、やっと部屋から出、放心のさまで音も立てずに階下に下りていった。(略)しばらくすると突然階下からオルガンの音がきこえ始めた。(略)しばらくポツンと座っていた賢治も、耐えきれなくなったとみえて席を立った。(略)賢治はまっすぐに近づき、不快もあらわにいった。「昼間はみんな働いているのです。オルガンは遠慮してください。やめてください」(略)だが内村康江は、こっちを振り向きもしなかった。
両氏とも賢治や女性・来客たちの心情を詳細に記述しているのですが、そういったものは文脈が乱れない範囲で省きました。というのも彼らの心情は両氏が彼らに直接聞いたものではない、完全な想像による記述であり「ライスカレー事件」の出来事を説明する当項目においてはノイズになるからです。
そのため、特に儀府文献は「(略)」が多くなってしまいました。少し見苦しくなってしまったかもしれません。どうかご容赦ください。
両氏(特に儀府文献)が描く「オルガンの音が響き渡る様子・夢中でオルガンを鳴らす女性の心情・そんな彼女を見た賢治の心情」の部分はオルガンではなくピアノの激しい短調の曲が…賢治が特に好んで聞いていたベートーヴェンの曲であれば「月光 第三楽章」が聞こえてくるようです。
この出来事は前回取り上げた「頻繁に訪問してくる女性に辟易した賢治が取った行動」と同じく「元ネタ」があります。それはまた後日「元ネタを発信した人物」と共にご紹介したいと思います。
初見時の感想
「ライスカレー事件」は賢治と女性=露さんに関する出来事の山場、時系列的には「露さんの頻繁な訪問と賢治の奇妙な対応」の後のような位置付けで紹介されていることが多いです。
当ブログ最初の記事でも申し上げた通り、私は最初露さんの悪評を少し信じておりました。ただ「露さんの頻繁な訪問に対する対応」からの賢治の態度をよく思っていなかったため、この話の初見時に抱いた感想は、
露さんの行動は確かに勝手なものだけど、これは賢治が言うべきことを言わないままにしていたから起こったことでしょ?
いきなり公開処刑みたいなことをするなんてひどすぎる!💢
でした。
森・儀府両氏のこの出来事の描写に漂う雰囲気もどこか大恥をかかされた露さんを嘲笑っているようで(もちろん私個人の主観です)、ますます露さんに同情の念を寄せるようになったのです。
それから「露さんの頻繁な訪問と賢治の奇妙な対応」に違和感を覚えるようになったのですが、この「ライスカレー事件」も文献を読み返すと疑問点が浮かんでくることに気づき「高瀬露=問題のある人物」という通説自体「おかしなこと」と思うようになったのです。
各文献から浮かぶ疑問点
「ライスカレー事件」を伝える各文献からはたくさんの疑問点が浮かんでくるのです。まずは、上田哲さんが指摘する疑問を引用します。
不思議なことにこの出来事のあった年月日時は不明である。いつごろと漠然とした程度の時もわからない。また、この物語りの主人公は、賢治と高瀬露である。それに数人の賢治を訪ねてきた農民たちがいるが、それは誰だかわからない。 戦前から有名になっていた話なのだからあの時いたのは、俺れだぐらい言ってもよさそうだが、とうとう名乗り出なかった。それに、この事件が事実なら仰天した農民たちとは別に冷静に客観的に一部始終を見ていた人物X氏がいたはずである。そういう人物がいなければこの話は伝わらなかったはずである。それが誰だかわからない。これも不思議である。森荘已池氏も、その場にいなかった。あとで詳しく述べるが、この話の最終的情報源は、今のところ高橋慶吾にたどりつきそこで止まってしまうが、それより先はわからない。高橋慶吾は、そこにいたのは自分であるとは言っていない。あるいは親しい人には、話したかも知れないが、少くとも文献的にも、あるいは誰かの証言という形でも遺っていない。
上田哲「「宮澤賢治伝」の再検証(二)ー<悪女>にされた高瀬露ー」 1996(平成8)年
整理して箇条書きにします。
- ライスカレー事件はいつの出来事か
- 現場に居合わせていたのは誰なのか
- 客観的に現場を見ていた人物は誰なのか
次に、私が疑問に思った点を挙げていきます。
- 賢治は早朝からライスカレーが運ばれてくるお昼まで別宅内をウロウロしていたはずの露さんをどうして放っておいたのだろう?
- 以前から疎ましく思っていた人の料理を拒絶するのに「食べる資格はない」という言葉はおかしくないか?
- そもそも露さんは「この日集まりがある」という情報をどこで誰から得たのだろう?
次回から、これらの疑問点について考えていきたいと思います。