ひとやすみ

おひるねこ

頂いたコメント・管理人の返信(2)申し訳ありません、油断するとすぐ空白期間を作ってしまう💦ほんの少し前まで何もしたくなくなるような暑さだったのに最近はうってかわって涼しくなりましたね。皆様もお体には十分お気をつけ下さいませ。次回は「高瀬露の...
「中傷行為」について

「中傷行為」伝説について考える(9)

頂いたコメント・管理人の返信(4)まとめ?と個人的意見・2理解できないのは、こんなひどい噂を花巻どころか全国区まで広められたというのに、高瀬露は「事実でない事が語り継がれている」と言っただけで何の弁明もしなかったことです。賢治でさえ、最初は...
「中傷行為」について

「中傷行為」伝説について考える(8)

まとめ?と個人的意見・1あまりにも個人的な考えであり、かつ願望も入っていることをお断りして私自身の中傷行為の有無を述べたいと思います。私は高瀬露は賢治の中傷などしていないと考えます。上田氏の述べるような状況的理由については地図や年譜をを見れ...
「中傷行為」について

「中傷行為」伝説について考える(7)

中傷伝説の正体?前エントリでは、新たに出て来たこの問題の疑問は、・高瀬露の中傷行為について、断定調で語っているのは関登久也氏のみということであり、・1930(昭和5)年10月初めに、高瀬露が関宅を二度訪れたという出来事にその鍵がありそうだと...
「中傷行為」について

「中傷行為」伝説について考える(6)

3.他の目撃者が現れないでは、その中傷はどのように伝わったのでしょうか。森荘已池氏、儀府成一氏の文章ではあちらこちらに賢治の悪口を言いふらして回ったように書かれてあります。関登久也氏は「(高瀬露が)賢治の中傷ををしていた」と断定調で言ってお...
「中傷行為」について

「中傷行為」伝説について考える(5)

2.具体的に何を言ったのか分からない儀府成一氏が「賢治に対するいろんないやがらせをしたというが、どのようなものだったのだろうか。」と疑問を持っているように、中傷の内容はどんなものかすらもはっきりと分かりません。女性が男性を中傷する内容ですぐ...
「中傷行為」について

「中傷行為」伝説について考える(4)

1-3.「中傷行為後・もしくは中傷行為期間中」の高瀬露中傷行為後、もしくは中傷行為の期間中、当の高瀬露は何をしていたのか……2003年7月に見つかった関氏の日記には、高瀬露は1930(昭和5)年10月4日に関氏の自宅を訪れ賢治との結婚話をし...
「中傷行為」について

「中傷行為」伝説について考える(3)

頂いたコメント・管理人の返信(2)1-2.本人及び周りの者の対応がない約3年もの間この行為への対応を中傷の的となった賢治をはじめとして周りの誰も何もしていないというのは何故なのでしょう。賢治は当時臥床中で対応することが出来なかった、と考えら...
「中傷行為」について

「中傷行為」伝説について考える(2)

本エントリから、前エントリで上げた中傷伝説についての疑問点を考えて行きます。1.いつ起こったことなのかはっきりしない「レプラ告白・居留守事件」や「ライスカレー事件」と同様この話もいつ起こったことなのかはっきりしていません。本サイトの年譜に推...
「中傷行為」について

「中傷行為」伝説について考える(1)

これも有名なエピソードのひとつです。まずはそれに関連するテキストを悪評系文献から引用します。賢治を慕う女の人がありました。勿論賢治はその人をどうしやうとも考へませんでした。その女の人が賢治を慕ふのあまり、毎日何かを持つて訪ねました。 (中略...