色眼鏡抜きの評判

高瀬露絡みの評伝を書くのであれば、高瀬露がどういう人であったのかを正しく知るということは基本中の基本であると思います。

しかし、彼女の悪評を撒いていた評伝本はもちろん、近年になって出てきた彼女を弁護しようとする姿勢の評伝本ですらそれを怠っているのです。

これまでは高瀬露のプロフィールについて書きましたが、ここでは高瀬露についての色眼鏡抜きの印象や評判と、我々賢治ファンが考えている露の人間像との比較を記していこうと思います。

彼女はとかく色眼鏡を通して見られているので、それを抜きにした証言は重要です。

上田哲氏の論文「「宮澤賢治論」の再検証(二)<悪女>にされた高瀬露」」(以下、「再検証(二)」)に、日頃露との交際があり、かつ賢治との噂による色眼鏡を通して露を見ていない人々の話があるのでまずはそれを引用します。

彼女との交流は、晩年近くになってからであるが、露の二人の娘とは小学校時代からの幼友達で比較的古くから露を知っていたE.Kという人がいる。遠野在住の歌人であるが尾上紫舟賞の受賞者で日本歌人クラブの理事でもある。最近のこと角川書店から『短歌』の賢治生誕百周年を記念した「賢治短歌」についての歌論の寄稿依頼があった時、「自分は賢治について余り知らないから、より適任の人を」と他の人を推薦したというくらい良心的で真面目な人物である。確かに宮沢賢治については一般の読書人程度の関心と知識しかないが書こうと思えば書ける能力はもっていたのである。高瀬露と賢治についての伝説は私が話すまで知らなかったが、
露が賢治を度々訪問していたことは、彼から聞いていた。それで露と賢治についていろいろ聞いてみた。彼の証言を次に紹介する。

「露さんは、「賢治先生をはじめて訪ねたのは、大正十五年の秋頃で昭和二年の夏まで色々お教えを頂きました。その後は、先生のお仕事の妨げになっては、と遠慮するようにしました」と彼女自身から聞きました。露さんは賢治の名を出すときは必ず先生と敬称を付け、敬愛の心が顔に表れているのが感じられた
(中略)
さらにK氏は高瀬露の人柄については次のように語っている。

「露さんを小学校の友だちの母親として知っていたが、親しくなったのは十代の終わりの頃。結核で入院していたわたしを多忙な主婦と教員の生活を割いて度々見舞に来てくれた。自分が娘の幼友達だったということからではなく病人、老人、悩みをもつものを訪問し力づけ、扶けることがキリスト者の使命と思っていたのである。彼女は私だけでなく多くの人々に暖かい手を差し伸べていることがいっとはなしに判り感動した。わたしも彼女に大分遅れて同じカトリック信者になったが、昔の信者の中には、露さんのような信者をよく見かけたが、今の教会にはいない。露さんは、「右の手の為す所左の手之を知るべからず」というキリストの言葉を心に深く体していたような地味で控えめな人だった。また、世話ずきで優しい人で見舞の時枕頭台やベッドの廻りの片付けなどをしてくれた。それとともに誇り高く自分を律するのに厳しい人で、不正やいい加減が大嫌いだが、他人の悪口や批判を決して口にしなかった。ただ、後輩や若い人には、先輩としての義務観から忠告や注意をして誤解されるようなこともあったようだ。

話を聞いてから賢治研究者や愛好者の間に流布している高瀬露伝説を話したところ「そんなひどい話があるとは知らなかった。露さんが、そういう淫らな女とは思われない。男女の交際などについての倫理観はむしろ保守的で戦後の若い人々の男女交際の在り方に批判的な話をしていたくらいである。」と語った。

また、彼女の二度目の青笹小学校勤務時代の同僚でS.K氏という人がいる。大正十五年生まれであるというから(論文執筆当時)六十九歳。馬が趣味の元気な人であり、小笠原露について鮮明な記憶をもっている。彼はまだ三十代の若さで教務主任をしていた現在は退職して花巻市Y町に住まっている。S.Kの青笹小学校赴任は一九五七年(昭和32)で小笠原露の退職は一九六〇年(昭和35)だったから三年間一緒に勤務していたのである。S.K氏は露について次のように語っている。
「小笠原先生は、当時養護教諭として勤務しており、児童の健康管理と保健の授業をしていました。仕事ぶりは真面目で熱心な方でした。良く気のつく世話好きな人だったので児童からもしたわれていました。それから人ざわりの良い、物腰の丁寧な人で、意見が違っても逆わない方だったので同僚や上司、父兄、周囲の人々に好感を持たれていました。普段は目立たない人でしたが、興に乗るとよく話をしました。
そして露と賢治のことについては「はっきり憶えていませんが、なにかの機会に、若い頃から宮沢賢治先生を敬愛し、おたずねしていろいろとお教えを受けた、と話されたことがあります。」と語ってくれた。

このお二人の証言はとても具体的です。また、今まで聞かされて来た高瀬露の人間像とは何だか違う気がします。(該当箇所を太字にし、下線を引いています。)

これは一体どういうことなのでしょうか。

次エントリでも、引き続き「色眼鏡抜きの高瀬露の評判」を載せていこうと思います。

なお、E.K氏の証言にある「右の手の為す所左の手之を知るべからず」とは、新約聖書の「マタイによる福音書」六章にある言葉です。下記に引用します。

見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。
                   (日本聖書協会「聖書 新共同訳」より)

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