悪評の原因について考える(6)

「企み」とは何か

以前このエントリで「高瀬露の悪評を書き広めることで羅須地人協会から人が遠退いていった原因を高瀬露に被せようとする節がある」と記しました。それをもとに、前エントリで書いた「企み」についてちょっと考えてみたいと思います。

ある日協会員のひとりが、急ぎの用事で桜へ出かけた。が、賢治の姿はなく、内村康江(引用者注・高瀬露に冠した仮名)がひとり、放心のさまで立っていた。
「先生はおいでになりませんか」
協会員といっても、彼は農学校時代の賢治の教え子でもあったから、勇気を出して彼女に声をかけた。
「おりません」
いつも愛想の良い彼女から、ブッキラボーな返事が反ねかえった。

(略)

この人が来たおかげで、その当座は会の空気も一時パッと明るくなった。それも事実だったが、今はこの人がここに入りびたっているおかげで、遠慮して、会から足を遠ざけている人だっていないわけではない……反射的に、こんなことを思い浮かべながら、その会員は帰ることにして、ひとこと賢治へのことづてを彼女にたのみ、向きをかえようとしたとき、彼女の後ろの戸がさっとあいて、顔を異常に興奮させた賢治がとび出してきた。
                 (儀府成一「宮沢賢治 ●その愛と性」より)

高瀬露が「頻繁に」賢治を訪ねるようになり、他の人々が来訪を遠慮するようになった……そのようなことをハッキリと書いているのは、当サイトで使用している悪評系資料の中では儀府成一氏の上記引用文のみです。(訪ねて来た協会員の考えというよりも、儀府氏の考えのような感じですが)
しかし、他の悪評系を見てもまるで高瀬露が「羅須地人協会を訪れる人を戸惑わせ集まりを引っ掻き回している」ような書き方をしています。

高瀬露が羅須地人協会を頻繁に訪れることは不可能に近いことはこのカテゴリで書きましたので、ここでそれを改めて述べることはやめておきます。

しかし頻繁に顔を見ようとたまに顔を合わせようと関係なしに「女性がいる」というだけで気後れして来訪を遠慮する人も中にはいるかも知れません。確かに高瀬露は「羅須地人協会から人を遠退かせた原因」となってしまったのでしょう。

しかし「羅須地人協会を訪れていた女性は高瀬露一人だけなのか」という疑問が湧いてきます。来訪を遠慮してしまった人の中には高瀬露以外の女性を見た人がいるのかも知れません。
そして羅須地人協会から人が遠退いていった大きな原因は「訪れる女性(高瀬露に限らず)の存在」より、賢治の活動計画の失敗にあると思います。「女性がいる」ことを気にする人よりも、賢治の立てた活動計画の……悪く言えば「とんでもなさ」についていけずに離れていった人のほうが多かったのではないでしょうか。

「羅須地人協会から人を遠退かせた原因」が全て高瀬露にあるわけではないし、また高瀬露の存在は「羅須地人協会から人を遠退かせた原因」としては非常に些細なものなのです。

悪評系の人々はそれに気づかないまま、「羅須地人協会から人を遠退かせたのは高瀬露のせいだ」と思い込んだのでしょうか。
もし「羅須地人協会から人を遠退かせた最大の原因は賢治自身にある」ことに気づいていたのなら、何故高瀬露をあたかも「羅須地人協会から人が遠退いていった唯一最大の原因だ」というように書くようなことをしたのでしょうか。

「気づいていた」ということにしてその理由を考えてみます。
賢治の「崇高な行動」である羅須地人協会から人が遠退いていった最大の原因を作ったのは賢治自身であるなどというのは非常に「格好の悪い話」です。それを隠して原因を「外部にある」ことにし、賢治のイメージを守るために高瀬露という女性を利用したのではないのでしょうか。

何故高瀬露が標的になったのかというと、良くも悪くも「訪れる女性達の中で目立つ存在」だったからではないかと思います。高瀬露は羅須地人協会の活動に積極的に参加し、また勉強熱心で賢治の高い評価を得ましたが、それを煙たく思う人も(高橋慶吾氏をはじめとして)いたのだと思います。
そのうちの一人である高橋慶吾氏が「羅須地人協会から人を遠退かせたのは高瀬露のせいだ」などとする意図もなく半分軽口のつもりで流した高瀬露の悪評が「賢治の大失敗」の隠蔽に使われてしまったのではないでしょうか。

前エントリで書いた「悪評系の企み」とはこんなことであるような気がします。またそれはそのうちの一つで、もしかしたら他にも何かあるのかも知れません。

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