悪評の原因について考える(5)

悪評が広まった原因・理由とは何か

高瀬露の悪評の出所は高橋慶吾氏とはいえ、彼一人がそれを広めたわけではありません。
高橋氏からその話を聞いた、私が当サイト・ブログで「悪評系」とまとめている他の人々の手も加わり、広がっていきました。

高橋慶吾氏は後年「高瀬露が賢治の中傷をして歩いた」ことを否定しています。何となくその話に驚き戸惑っているような様子もうかがえます。自己顕示欲を満たすための軽口(というよりこれでは中傷の域ですが)のつもりで高瀬露のことを話したにすぎなかったのがここまで大きくなったのに驚いたのでしょう。

鏑慎二郎氏は「火のないところに煙は立たないから……」と言っていますが、高瀬露が賢治のもとに通っていたことや、夜遅い帰宅になってしまったことは確かに事実です。それでも、火は火でも煙も見えないとろ火程度の火に過ぎません。また、噂話や悪評には「火のないところに煙を立てる」というやり方だってあるのです。

代表的「悪評系」である森荘已池氏は「後年高瀬露に会って色々話をした」と書いていますが、それは嘘でした()。実際は羅須地人協会から帰宅する際に高瀬露の姿を見ただけで話もしていません。男性ばかりが集っている(と思い込んでいる)羅須地人協会から「上品な着物を着た若い女性」が帰路についているのを見て驚いた若き日の思い出が先にあり、後に高橋慶吾氏の話を聞いて想像力を膨らまし、それを事実と錯覚してしまったのでしょう。

もう一人の代表的「悪評系」儀府成一氏は、羅須地人協会活動時代には賢治と面識がなかったということですから、当然高瀬露とも面識はありません。

しかしそんな話を聞き、評伝に書くのであれば「この女性はどういう人なのか」と周囲の人に話を聞くなり本人に会うなりして確かめてみたいと思うだろうし、またそれを行動に移すのではないでしょうか。森氏も儀府氏もそれをしないまま(仮名を使っているとはいえ)高瀬露の「悪評」を書いてしまいました。

その点でもっと疑問に思うのは代表的「悪評系」の一人である関登久也氏です。
関氏は高瀬露と2回顔を合わせています。交わした言葉は少なかったでしょうが、妻のナヲ氏は高瀬露の女学校の同級生ですから、高瀬露と長く接しているはずのナヲ氏からそれなりに評判は聞いていたはずです。それにもかかわらずこんな悪評を書いているのはどうしてなのでしょうか。

3人とも(それ以外の悪評系もそうですが)、直接高瀬露が本当はどういう女性なのか確かめる機会があった、もしくは機会を持とうと思えば出来たにもかかわらずそれすらしようとせず、高瀬露の悪評をどんどん広めていったことに疑問が残ります。それはただの怠慢だったのか、何か「企み」があってのことだったのでしょうか。

後者だとすれば真っ先に考えられるのが「賢治聖人化」ですが、それならば他人を悪役に仕立て上げなくても賢治の美しいエピソードをたくさん書けば済むことでしょう。では、それとも他に何か「企み」があったのでしょうか。

儀府氏は完全に前者の雰囲気がありますが、森氏は前者なのか後者なのか見えにくいです。
もっと分からないのが関氏です。関氏は後者の色が濃いような感じですが、その「企み」が何だか分からないだけに少し不気味な感じがします。

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