ライスカレー事件を考える(2)

「ライスカレー事件を考える(1)」で挙げたライスカレー事件に対してのいくつかの疑問点の中から今回はこの点について考えたいと思います。

・ライスカレー事件はいつの出来事か

宮沢賢治と高瀬露の逸話となると必ず出てくるこの事件ですが、どの文献(殆どが悪評系ですが)を見てもハッキリとした時期が書いてありません。

ですが、どの文献もこの話を高瀬露の幾度もの熱烈なアプローチやそれに対する賢治の奇行などのエピソードの後に記している……いわゆる「ひとつの締めくくり」的な位置に持って来ています。

また文献の内容を読んでみると、高瀬露に対しいよいよ我慢の限界を超えそうになっている賢治の様子や心情が手に取るように表現されています。

本サイトの年譜にも記してありますが、昭和2年の5月下旬から6月上旬にかけての間のいずれかの日に、高瀬露は賢治から「女一人で来てはいけません」とたしなめられたことにショックを受け、そのことを記したハガキを高橋慶吾氏に送っています。(その消印は昭和2年6月9日)

しかし、悪評系テキストによると、
「この後も彼女の単独訪問は繁々続いていた。」
        (小倉豊文「宮沢賢治「雨ニモ負ケズ手帳」研究」より)

とのことです(しかもそれは高橋慶吾氏の証言であるそうです)。

それを本当だとし、また数々の文献におけるライスカレー事件の位置づけから考えると、ライスカレー事件は昭和2年6月半ば頃~昭和3年上半期頃の出来事と推測できます。

一年ほどの間が開いているとはいえ、だいぶ絞ることができました。

とはいえ、これはあくまでも私個人の推測であるし、何より元々裏付けのない話が多い悪評系テキストを材料にしていますので、あやふやな感じは抜けないのですが……。

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