
高瀬露のエピソードの一つとして、また事実であるかのように語り継がれているこのライスカレー事件ですが、不思議なことにこの話もその他のエピソード同様、いや、それ以上に何もかもが曖昧なのです。
上田哲氏も以下のように指摘しています。
不思議なことにこの出来事のあった年月日時は不明である。いつごろと漠然とした程度の時もわからない。また、この物語りの主人公は、賢治と高瀬露である。それに数人の賢治を訪ねてきた農民たちがいるが、それは誰だかわからない。戦前から有名になっていた話なのだからあの時いたのは、俺れだぐらい言ってもよさそうだが、とうとう名乗り出なかった。それに、この事件が事実なら仰天した農民たちとは別に冷静に客観的に一部始終を見ていた人物X氏がいたはずである。そういう人物がいなければこの話は伝わらなかったはずである。それが誰だかわからない。これも不思議である。森荘已池氏も、その場にいなかった。あとで詳しく述べるが、この話の最終的情報源は、今のところ高橋慶吾にたどりつきそこで止まってしまうが、それより先はわからない。高橋慶吾は、そこにいたのは自分であるとは言っていない。あるいは親しい人には、話したかも知れないが、少くとも文献的にも、あるいは誰かの証言という形でも遺っていない。
(上田哲「七尾論叢11号」所収「「宮澤賢治論」の再検証(二)ー<悪女>にされた高瀬露ー」より)
まず、悪評系が伝えるこのエピソードの、「運ばれたカレーを賢治が拒否するまで」の部分をそれぞれ引用します。
(略)
その日、羅須地人協会には客があった。近くの村の人たちで、四、五人連れ立って訪ねて来て、二階で賢治をかこみ、いろいろと農事について相談をし、適切なアドバイスをうけていた。きく方も教える方も声が大きく、いきいきとした時間の流れが感じられた。しかし内村康江(引用者注・高瀬露に冠した仮名)の来訪は、この人たちよりもっと早かった。彼女はいつものように階下にいて、玄関から居間、オルガンのある部屋、お勝手、階段まで掃除をし、あと片づけがすむと台所に入って、時間をかけて何かひそかにやっていた。
(略)
正午すぎ、彼女は二階に、食事を持ってあがってきた。みると、何度かにわけて、こっそりとそこまで運んだのであろうが、人数分のカレーライスであった。容器は揃いではなかったが、人数分キチンとあった。村の人たちは恐縮して腰を浮かしたが、それはカレーライスの接待のためというより、女がいないはずのこの協会で、どういう人か素性の分からない女の人が、
いきなり姿をあらわしたためのようであった。宮沢先生が、嫁をもらったという話はきいたことがないし、さらばといって感じからいって、妹さんでも、親戚の娘というのでもなさそうだ。賢治は最近、何とも間のわるい、どのように説明し、その場をとり繕っていいか分からないような目に、ちょいちょいあわされてきている。何とか二人の間に、二人は他人であることを悟らせるような、はっきりとした線を引かなければと苦慮しながら、ずるずるに押しまくられ、追いつめられたかたちになっている。そして今日だ。
賢治は立ちあがって、村の人たちに「この人は××村の学校の先生です」と紹介した。彼女は頬を少々上気させただけで、慌てないでおじぎを返し、あらためて目をみはり、躰をかたくしているような来客たちに、一枚々々、カレーライスの皿を渡した。水を入れたコップも運ばれ、みんなは食べ始めた。しかしこの家の主人である賢治は、どうしたことか食べようとはしないのだった。内村康江は寄り添うようにして、「先生も、どうぞ召し上がってください」とすすめた。如何にも女らしいやさしさが、声にも動作にもあった。彼女が二度、同じことばを繰り返したとき、賢治は声をころして――しかし、ここからは、もう一歩もゆずれないといった劃然とした態度で、こたえた。
「私にはかまわないでください。私には食べる資格などありません」
(儀府成一「宮沢賢治 ●その愛と性」より)
花巻の近郊の村のひとたちが、数人で下根子に訪ねてきたことがあった。彼はそのひとたちと一緒に、二階にいたが、女人(引用者注・高瀬露のこと)は下の台所で何かコトコトやっていた。村のひとたちは、彼女のいることについてどう考えているかと彼は心を痛めた。
(略)
みんなで二階で談笑していると、彼女は手料理のカレー・ライスを運びはじめた。彼はしんじつ困ってしまったのだ。彼女を「新しくきた嫁御」と、ひとびとが受取れば受取れるのであった。彼はたまらなくなって、
「この方は、××村の小学校の先生です。」
と、みんなに紹介した。ひとびとはぎこちなく息をのんで、カレーライスに目を落したり、彼と彼女とを見たりした。ひとびとが食べはじめた。――だが彼自身は、それを食べようともしなかった。彼女が是非おあがり下さいと、たってすすめた。――すると彼は、
「私には、かまわないで下さい。私には、食べる資格はありません。」
と答えた。
(森荘已池「宮沢賢治の肖像」より)
遠くから来た協会員もあったらしくて、会員が数人、にぎやかになったことであった。もちろん、近所の会員も、あったことだと思うが、T女(引用者注・高瀬露のこと)が台所でことこと働いていることに誰(だれ)も気が付かなかったらしい。
お昼になった。T女が、いつの間に作ったのか、いいにおいのするカレー・ライスが、つぎつぎ運ばれて、「めしあがって下さい」と、T女が、はればれした顔で言った。みんな、たいへんな御馳走にびっくりしたが、ぶぜんとした賢治は、
「私は食べる資格がありませんから」とT女がいくらすすめても手をつけなかった。
(森荘已池「ふれあいの人々 宮沢賢治」より)
これらのエピソードを見てみると、上田氏の指摘の他にも疑問点が出て来ますので、箇条書きにしてみます。
- ライスカレー事件はいつの出来事か
- この話の情報源は高橋慶吾氏だが、彼はこの事件を目撃したとは言っていない
- ならばそのことを高橋氏に伝えた「X氏」がいるはずだが、それが誰か分からない
- その他にも目撃者は数名いたはずなのに、誰も名乗り出ない
- 高瀬露は朝から羅須地人協会にいたのか、飛び入りでカレーを作り始めたのか
- 最初からいたのであれば、なぜライスカレーが運ばれてくるまで誰も高瀬露の存在に気付かなかったのか、賢治は対処しなかったのか
- 飛び入りでカレーを作っていたにしても、匂いなどで気付かなかったのか
細かい点での疑問もいくつかあるのですが、きりがなくなるのでこれだけ記しておきます。
次回からは、これらの疑問点をもとにライスカレー事件を考えてみようと思います。