高橋慶吾ほか2名参加の「先生を語る」と題された座談会のうち、高瀬露に関する発言を引用しています。
K この村の人達はただ道楽に仕事をやつてゐたと思つたらうな。
M さうだ。誰一人先生の生活に理解のある人はなかつたと思ふ。
K この次の集まりには、先生の生活上のことなどに就て話し合ひたい。それから前にも言つたがあの女の人のことで騒いだことがある。私の記憶だと、先生が寝ておられるうちに女が来る。何でも借りた本を朝早く返しに来るんだ。先生はあの人を来ないやうにするために随分御苦労をされた。門口に不在と書いた札をたてたり、顔に灰を塗って出た事もある。そして御自分を癩病だと云つてゐた。然しあの女の人はどうしても先生と一緒になりたいと云つてゐた。
何時だったか、西の村の人達が二三人来た時、先生は二階にゐたし、女の人は台所で何かこそこそ働いてゐた。そしたら間もなくライスカレーをこしらへて二階に運んだ。その時先生は村の人達に具合悪がつて、この人は某村の小学校の先生ですと、紹介してゐた。余つぽど困って了つたのだらう。C あの時のライスカレーは先生は食べなかったな。
K ところが女の人は先生にぜひ召上がれといふし、先生は、私は食べる資格はありませんから、私にかまはずあなた方がたべて下さい、と決して御自身たべないものだから女の人は随分失望した様子だつた。そして女は遂に怒つて下へ降りてオルガンをブーブー鳴らした。そしたら先生はこの辺の人は昼間は働いてゐるのだからオルガンは止めてくれと云つたが、止めなかつた。その時は先生も怒つて側にゐる私たちは困つた。そんなやうなことがあつて後、先生は、あの女を不純な人間だと云つてゐた。
C 何時だつたか先生のところへ行つた時、女が一人ゐたので「先生はをられるか」と聞いたら「ゐない」と云つたので帰らうと思つて出て来たら、襖をあけて先生がでて来られた時は驚いた。女が来たのでかくれてゐたのだらう。
K あの女は最初私のところに来て先生に紹介してくれといふので私が先生へ連れて行つたのだ。最初のうちは先生も確固(しっかり)した人だと賞めてゐたが、そのうちに女が私にかくれて一人先生を尋ねたり、しつこく先生にからまつてゆくので先生も弱つて了つたのだらう。然し女も可哀想なところもあるな。
筑摩書房 新校本宮澤賢治全集第十六巻(下) P359~P360
K=高橋慶吾、M=伊藤克己、C=伊藤忠一。