「中傷行為」伝説について考える(8)

まとめ?と個人的意見・1

あまりにも個人的な考えであり、かつ願望も入っていることをお断りして私自身の中傷行為の有無を述べたいと思います。

私は高瀬露は賢治の中傷などしていないと考えます。上田氏の述べるような状況的理由については地図や年譜をを見れば一目瞭然です。

悪評系は、賢治が昭和6年頃手帳に記した「聖女のさましてちかづけるもの」 ()を「高瀬露の中傷行為」が現実にあった証拠のひとつとしていますが、どうなのでしょう。

「聖女のさましてちかづけるもの」が本当に高瀬露を指しているのかさえはっきりと分かりませんが、賢治は「自分の中傷をしている女がいる」という情報を耳にしていると考えられています()から、そうであると仮定します。(こんなことを言うと、「ヒドリ問題」みたいなトンデモ意見にされてしまいそうですが)

そうであるとしたら、この詩は単なる被害妄想の産物にすぎないと思います。
賢治は実際に高瀬露が中傷行為をしているところを目撃したわけでもなく、また確認をとったわけでもないのですから。

また、高瀬露の(こういう事件を知らない)周囲の人の証言や彼女のその後の行動について考えてみても「白」と言えるのでないでしょうか。

10年前後の時間が経過しているとはいえ、中傷までして憎んだ賢治を讃えるような短歌を作ったり、積極的に賢治を偲ぶ集まりなどを開催するでしょうか。

また、このエントリでも書きましたが、相手の心が自分の思い通りにならなかったと相手の悪口を言いふらすような人が、教え子やその親、そして周囲の人たちに長く慕われるとは思えません。

それに、他人と自分を比べて嫉妬し、賢治の心情を邪推し悪口を言いふらすなど「誇り高く自分を律するのに厳し」く、「不正やいい加減が大嫌いだが、他人の悪口や批判を決して口にしな」い高瀬露が一番嫌う行いではないでしょうか。

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