「レプラ告白」、居留守事件についての考察(1)

頂いたコメント・管理人の返信(2)

今回から、長年まことしやかに語られてきた宮沢賢治と高瀬露のエピソードを一つずつ、私なりの考えで考察、出来るものは検証して行きたいと思います。

今回は賢治の「レプラ告白」及び居留守事件について考察します。

この件については様々な研究書や評論本などで必ず記されていますが、詳細を書いているテキストは二つ、森荘已池氏の「宮沢賢治と三人の女性」、儀府成一氏の「宮沢賢治 ●その愛と性」です。

その部分を引用します。

彼はすっかり困惑してしまった。「本日不在」の札を門口に貼った。顔に墨を塗って会った。あるとき協会員のひとりが訪れると、賢治はおらず、その女の人がひとりいた。
(中略)
仕方なく彼が帰ろうとすると、俄かに座敷の奥の押入の襖があいて、何とも名状しがたい表情の賢治があらわれ出たのであった。彼女の来訪を知って賢治は素早く押入の中に隠れていたのであった。
(中略)
「私はレプラです」

恐らく、このひとことが、手ひどい打撃を彼女に与え、心臓を突き刺し、二度とふたたびやってこないに違いないと、彼は考えたのだ。ところが逆に、彼がレプラであることそのことが、彼女を殉教的にし、ますます彼女の愛情をかきたて、彼女の意思を堅めさせたに過ぎなかった。まさに逆効果であった。このひとと結婚しなければと、すぐにでも家庭を営めるように準備をし、真向から全身全霊で押してくるのであった。彼女はクリスチャンであった。「私はレプラです。」という虚構の宣言などは、まったく子供っぽいことにしか見えなかった。彼女は、その虚構の告白に、かえって歓喜した。やがては彼を看病することによって、彼のぜんぶを所有することができるのだ。喜びでなくてなんであろう。恐ろしいことを言ったものだ。
                  (森荘已池「宮沢賢治と三人の女性」より)

あくる日の羅須地人協会の入口には、「本日不在」の木の札が下げられた。その木の札が、十日も掛けられっぱなしになっていることもあった。居るすをつかい、嘘をつき、逃げかくれた。つかまると、賢治は顔じゅうに灰やスミを塗り、わざとぼろをまとって乞食の風を粧い、彼女の前にあらわれた。喜劇『饑餓陣営』『ポランの広場』『植物医師』の作者兼演出家の、
じきじきの自作自演である。べつの時、そうと聞いたら愛想づかしをしてあきらめるだろうと思い、自分はレプラだと告白調でいってみた。やはり駄目であった。おなじ墓穴を掘るにしても、こんなまずい墓穴をほるなんて、めったにあることじゃない。内村康江は、クリスチャンであった。逃げ出すどころか、そんな不幸な身の上なら尚のこと、私の生涯をよろこんで捧げさせていただきますと、逆に彼女の殉教的な精神を煽り、結婚の意思をますます固めさせる結果となってしまった。
(中略)
ある日協会員のひとりが、急ぎの用事で桜へ出かけた。が、賢治の姿はなく、内村康江がひとり、放心のさまで立っていた。
「先生はおいでになりませんか」
協会員といっても、彼は農学校時代の賢治の教え子でもあったから、勇気を出して彼女に声をかけた。
「おりません」
いつも愛想の良い彼女から、ブッキラボーな返事が反ねかえった。
(中略)
その会員は帰ることにして、ひとこと賢治へのことづてを彼女にたのみ、向きをかえようとしたとき、彼女の後ろの戸がさっとあいて、顔を異常に興奮させた賢治がとび出してきた。愕きのあまり会員は声も出ず、といって逃げ出してしまうわけにもいかず、二人の顔から目をそらして、立っているのがやっとの思いだった。おもうに家にいた賢治は、彼女の不意の来訪をすばやく感知して、といって遠くへ逃げる時間などなく押入れの中にとびこみ、呼吸をころして隠れていたのであろう。
(後略)
               (儀府成一「宮沢賢治 ●その愛と性」より)

この行動を云々する前に、まず賢治がこのような行動を起こす前に高瀬露に頻繁な訪問を控えるよう進言したのか否かを考えましょう。

その進言があってもなお彼女が訪問を繰り返したのであれば、彼女に分別がなく、賢治のこのような行動もやむなしと言うことが証明されますが、進言も何もないままいきなりこのような行動に出たのであれば、賢治が非常識であるということになります。

では、お二人の文章にそのような過程が記述されてあったか……答えは否です。

高瀬露の度重なる訪問や贈り物に賢治が一人で恐怖感を募らせ、ある日突然このような行動に出たという描写でしかありません。

ところで、森氏の文章と儀府氏の文章では一連の出来事の順序があべこべになっているのがとても気になります。

当方で作成した年譜をご覧になればお分かりになると思いますがこの出来事の時系列はかなりあやふやなので、この出来事が事実であるということさえ非常に怪しいのです。


頂いたコメント・管理人の返信
TBさせて頂きました(Dr.アート) 2005年12月2日

関連記事をTBさせて頂きました。よろしくお願いします。
TBありがとうございました(詰草あきか(tsumekusa)) 2025年7月1日

Dr.アート様、頂いたコメントに返信できず誠に申し訳ありません。
gooブログ時代の当記事トラックバック誠にありがとうございました。
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